ブログが少し空いてしまいました。
母が10月22日に亡くなりました。97歳でした。
コロナ禍のため、それまではホームの玄関先でしか面会できなかったのですが、この時は久しぶりに母の個室まで入ることができました。
母はベッドに寝ていて、ちょっと呼吸が荒い感じがしたので、看護婦さんがあれこれお世話をしてくださいました。そして痰を吸引してくれると、顔色がとてもきれいになり、唇も赤く健康そうに見えました。
それで私は安心して帰宅しましたが、翌日の夕方に見回りのヘルパーさんが「呼吸が止まった」と確認して、私の元に電話連絡がありました。それで寒い雨の中、タクシーでホームまで駆けつけました。
お医者さんとホームの担当者が入室して、死亡を確認しました。「老衰です」と言われました。
その後、看護婦さんが身体をきれいに清めてくれました。私はホームの人と、最期の服を選び、母の日にプレゼントした赤いセーターを着せてもらいました。
そして顔にファンデーションと頬紅を塗ってくれて、最期に私が口紅を塗ってあげました。
母は入院してチューブに繋がれることなく、ずっと自分の部屋で自然に過ごせたこと、ホームの方によく面倒を見ていただいたこと、私が最期に口紅を塗ってあげたことなど、私にとっては満足できた往生でした。
亡くなった翌日は、医者から死亡診断書を受け取り、市役所へ提出して、火葬許可書を受け取り、その後、葬儀屋とあれこれ相談したり、母の荷物の引取を業者に頼んだりと、いろいろやっていました。
こういう手続はそんなに頻繁にすることではないので、インターネットや書籍などを頼りにして、一つずつ解決していますが、そういう体験ができることは貴重ですし、割と面白いと感じます。
ということで「私は百まで生きるかもしれない」と口癖のように言っていた母の人生も、97歳で終了しました。
人生の前半は戦争中、その後はよき家庭の主婦として過ごし、老後の12年間は認知症のグループホームで過ごしました。
私は自分では親の介護をせずに、専門家に任せてしまったのは、母のために良かったかどうか分かりませんが、最期まで穏やかに過ごすことができたので、それで良しとすることにしましょう。
母を見守っていただき、親切に対応していただいたホームのみなさん、お医者さん、看護婦さん、ありがとうございました。
まだ若い頃の母です。55歳くらいかしら。背景はカナダの紅葉。
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一日一句
穏やかに 母はあの世へ 神無月
2 件のコメント:
お母さま穏やかに旅立たれたのですね。
コロナであまり会うことができなかったですね。
としちゃんに似たアクティブな方で、確かホテルでアルバイトをして
カナダに行かれたと聞いたことがありました。
ご冥福をお祈りいたします。
としちゃんもお疲れさまでした。12年前のことよく覚えています。
カンカン、コメントありがとうございます。
そういえば、昔、赤坂プリンスホテルかどこかで
アルバイトをしていましたね。外で働いてお金を得るのは
初めてのことだったと思います。覚えていてくれて、ありがとう。今はいろんな手続きに追われていますが、せっかくマイナンバー制度があるのに、もう少し簡単にできないのかな、と思いますね。
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