新宿中央公園は、淀橋浄水場とは切っても切れない縁があります。
かつて明治時代に、東京ではコレラが大流行して、なんと1万人以上の市民の死者が出たそうです。それでそれまで使用していた玉川上水を近代化することにして、明治31年(1898年)に淀橋浄水場が作られました。
これは近くに淀橋という橋があったから名付けられました。
神田川と青梅街道が交差するところにある淀橋です。
その後、長い間、淀橋浄水場は東京市民に配水を続けましたた。
私は小学4年か5年の頃、淀橋浄水場を見学した記憶があります。昭和35年頃のことだったでしょうか。小高い場所から眺めて、とても広いところだったという思い出があります。
淀橋浄水場は、昭和40年(1965年)にその役割を終了しました。この年の前年には、東京オリンピックが開催されています。東京の都市機能がいちだんと近代化した頃ですね。
さて先日、新宿中央公園を散歩しましたが、公園の中の小高い丘で、浄水場の遺産に出会いました。
富士見台です。標高45メートルの高さのところにありました。
「ここにある六角堂は、淀橋浄水場時代のものを補修して、そのまま残した。また通路の飛び石は浄水地の壁に使われていた明治30年頃の古い煉瓦である」
なんだかロマンチックな雰囲気のところでした。
かつての六角堂と淀橋浄水場の写真もありました。
「六角堂は、旧淀橋浄水場の洋風四阿(あずまや)で、階段を上がった先にある富士見台と呼ばれる築山上にあります。建てられた時期は、明治39年から昭和2年の間と考えられています。公園整備の際に、当時の地盤をそのまま残し、浄水場時代の記念物として保存しました。今では浄水場があった当時の施設などはほとんどなくなり、この六角堂は現存する貴重な施設であることから平成25年3月に新宿区の地域文化財に認定されました」
右側の写真は、昭和36年当時の浄水場です。このころは周囲には高いビルなど何もなく、今とは大違いの風景ですね。
中央公園には緑の木々や、アジサイの花などが咲いていました。
この付近には「旧淀橋浄水場蝶型弁」「や「給水所」「淀橋浄水場阯」などもあるようです。見過ごしてしまいました。
もう一度出かけて、それらを確かめたいと思いました。
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「一日一句」
炎天に 思い出広がる 浄水場
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