来週、玉川上水歩きの最終回を予定しています。
それでもう一度、初心に帰って、玉川上水の終点である四谷大木戸門へ行ってみました。
地下鉄の新宿御苑駅で下車しました。
玉川上水は、幕府が江戸に移って以降、江戸の人口が急増して水の需要が高まったことにより、1653年から翌年にかけて、玉川兄弟により作られました。
四谷大木戸には水番屋がありました。そこでは水質調査や水量の監視を行い、ゴミの除去作業も行っていました。また水量が多くなったときには渋谷川に水を排出していました。
その水番屋は630坪もの広さがあったそうです。
玉川上水水番屋のあったところの史跡です。
羽村取水口から始まった玉川上水は、ここまでは掘割でしたが、ここから先は地下に石樋や木樋の水道管を通して江戸の町に流していました。
すぐ近くに水道の碑がありました。5メートル近い高さがある大きな石碑です。
大木戸跡もありました。ただし実際の大木戸の位置は、もう少し80メートル東寄りの四谷4丁目交差点の場所になります。
ここは、現在は新宿区の施設の他に、水道関係の官庁などが入っているというのも、面白いですね。
暗渠関係の本やブログには、必ず登場する有名な場所なのです。
ホールのロビーには、玉川上水関連の案内が色々と展示されていました。
こちらはちょっとした池のような形をしていました。
近いからいつでも行ける、と思っていたのが、ダメでした。
残念!
その代わり、四谷区民ホールの駐輪場に、こんな説明板を見つけました。
ホールの入口には、上水をイメージしたような水の流れがありました。
これで、我慢しましょう。
こちらはお隣りにある新宿御苑の大木戸門。
ここは江戸時代は信濃高遠藩内藤家の下屋敷があったところです。
普通は、苑内に入りますが、今回は御苑と道路の間にある細い散歩道を歩きました。約540メートルあります。ここは無料です。そしてそこに玉川上水の内藤新宿分水の跡があるのです。
現在、水源は国道20号のトンネル内にある共同溝から湧出した地下水を使っているそうでです。
右側に見えるのが内藤新宿分水です。
苑内には、玉川上水についての様々な案内がありました。
私が気になったのは、こちらの分水の説明です。
玉川上水の分水として、福生分水、熊川分水、拝島分水、立川分水、砂川分水、千川分水、品川分水、烏山分水、三田分水などが書かれていました。
どの分水も、実際に歩いたことのある分水なので、とても親近感が湧いてきました。
「しんはし」と書かれているようですが、どこに架かっていたのでしょう。
現在の新宿門に到着しました。
青空が素晴らしい。
ここには無料で入れる休憩所があるので、ひと休み。
そして気がつくと、何やら古めかしい橋の残骸が二つありました。
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