2023年12月14日木曜日

【玉川上水 28】福生 橋めぐり

ようやく福生市の橋巡りとなりました。

「牛浜橋」から出発。美しい姿の橋です。


次の橋は「かやと橋」。


漢字では「萱戸」と、書くようですが、萱は屋根を葺くのに使う草木のことです。


お次は「熊野橋」


なかなか立派な橋でした。


歩道橋のすぐ脇にありました。

親柱にある装飾は、熊野権現をイメージしているそうです。

熊野橋の先は、中福生公園というところを通りました。


紅葉がとても美しいところでした。
急な階段がありましたが、先がどのようになっているか分からないので、下るのはパスしました。


公園の美しい紅葉を写すCさん。

この公園は細長い形をしていました。

お次は「清厳院橋」です。

清厳院寺のすぐ隣に架かっていました。


お寺の境内から、紅葉越しに橋が眺められました。

この写真だけ写して、一度、市役所へ向かいました。その後、ランチをしてまた戻ってきて、庭園を見学。

その先には、中福生みずくい公園がありました。その名のとおり、あちこちに湧水があるところでした。


水が湧き出ているのが、わかるでしょうか。


お次は「新橋」です。


このあたりの道路は、かつては狭くて曲がりくねっていました。そこで多摩川に架かる橋と、この橋を一直線に新設するように陳情し、昭和36年に完成。その後、昭和41年にまた修復して架けかえられたそうです。
この親柱は古い橋のものです。


現在の橋は、平成18年に架けられたものです。幅も長さもぐんと立派になりました。
新しくなったのは、こちら。


新橋から上流側を眺めたところです。

新橋の近くには、なんの意味か分かりませんが、石のオブジェがたくさん並んでいました。


お次は「宿橋」です。
「宿」というのは、名主の家屋敷を中心とした村内の地域のことで、このあたりはかつては商業の中心地だったそうです。
橋の周囲には、紺屋、味噌屋、足袋屋、大工、などが集まっていた地域でした。


かなり古い橋でした。戦前に架けられたのですね。


低いのですが、長さはたっぷりの橋でした。

ここを真っ直ぐ行くと「宮本橋」でした。


この橋は以前は「宝蔵院橋」と呼ばれていました。宝蔵院という名前のお寺があったからです。ところがここの住職が還俗してしまい、その後、神職になったそうで、その人の名前を取って宮本橋と言われるようになりました。今は観音堂だけが残っていました。
明治の神仏希釈運動の影響だと思われます。それにしてもお坊さんから神主になったというのは、珍しいのでは。


この近くには堰上神社というのがありました。


川を守る神社でしょうか。


すぐ近くには多摩川が流れていました。


こちらの永田橋は、玉川上水に架かる橋ではなく、多摩川に架かる大きな橋です。風が強くて、スマホを必死に抑えているCさんの姿が映り込んでしまいました。


やはり堂々としていますね。

その後、福生駅に向かう時、水車の跡がありました。

1790年に田村酒造の田村半次郎が、玉川上水からの引き込みの許可を徳川幕府から得て、田村分水ができました。

この分水に水車を上流から、上車、中車、下車と3箇所設置しました。

その後、昭和15年くらいまでは、米や麦をつくのに利用していたそうです。

酒屋で使うために作られたのですね。


この後は、福生駅までまっすぐに歩きました。

この日、通過した橋はこちら。


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「一日一句」
秋深し 湧水あふれる 福生かな

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