2023年12月16日土曜日

ボロ市 & 世田谷郷土資料館

4年ぶりくらいになるでしょうか、久しぶりに世田谷ボロ市に行ってきました。

電車も、ボロ市に対応して増発されていました。

雨の予想でしたが、朝早くから出かけたので、濡れずにセーフでした。

世田谷ボロ市は、天正6年に小田原城主の北条氏が楽市を開いたのが始まりだそうです。400年以上の歴史があるのです。

それにしても、凄い人混みでした。外国からのお客さんも多く、道はギューギューでした。

私の感想としては、以前よりお店は増えましたが、増えたのは今風の食べ物屋さんばかり。伝統的、良心的なお店は減ったようでした。

私のお目当ての着物のお店も減りましたね。また、品物のレベルが下がったと感じました

あちこちの骨董市で出会う古着屋さんは、今までは良質のものを扱っていましたが、今回はちらりと眺めても、あまり良いものは出していませんでした。

ちょっと寂しいですね。

そんなふうにボロ市は変わってしまいましたが、あるお店で、ちょっとマトモな大島紬を購入してきました。身丈以外はぴったりでしたので、即決でした。

ほんとは、断捨離中なので、買っている場合ではないのですけどね。ピンクというかベージュの地味なものです。

おまけは、絞りの腰紐。これは400円でした。

実は世田谷に行ったのは、ボロ市は、二の次でした。

ほんとの目的はこちら。

ボロ市のときは、いつも素通りしていた所です。

こんな展示もありました。

玉川上水で使われた木樋です。

説明文には、

「玉川上水は、江戸市中の飲料水を確保するために開削された上水道。多摩川の水を羽村市で取水し、新宿の四谷大木戸まで掘ったもので、全長43キロに及ぶ。大木戸から先は、地下に埋められた木樋や石樋によって江戸城内や武家屋敷、町家などに水を供した」とありました。

分かりやすいですね。


長さは3メートルくらい、断面はちょっと大きめのテレビサイズくらいありました。これが地面の下に埋められて、その中を上水が流れていたのですね。

この小さい四角のものは、何かしら?

お土産は、地図です。昔の村の名前も書かれています。

この資料館の隣には、代官屋敷があります。

彦根藩世田谷領20ヶ所の代官を務めた大場家の屋敷です。

古い井戸がありました。

庭には色々と石碑が並んでいましたが、私が気になったのは、分水についての碑でした。標石というそうです。


中央の碑には、このような内容が書かれていました。

【寛文二年、熊本藩主の弟が品川領戸越に屋敷を取得したが、その邸内の泉池用に、野川村新川より仙川養水を分水して、戸越上水を開削した。
旱魃に苦しんでいた農民たちが、この古堀を用水として賜りたいと願い出て、幕府は水路の拡張工事を行った。
品川用水は世田谷だけでも七里に及び、数か所の分水口があった。引水量は十分ではなく、用水をめぐる争いが絶えなかった】

水を巡る争いはいつの時代にもあったのですね。

やはり用水に関するものには、目がいきますね。

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「一日一句」

世田谷の 歴史が語る 冬の市


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