先日、大手町に福井のイベントに行ったとき、ついでに将門塚を見学してきました。
イベント会場は「大手町タワー」というビルでしたが、そこから2分ほど歩いたところにありました。
将門塚のことは昔から話には聞いていましたが、実際には行ったことがありませんでした。
将門さんは平将門といい、平安時代初期の豪族です。10世紀の初め頃、生まれたようです。下総国や常陸国(千葉や茨城)を制して、自分は「新皇」、新しい天皇であると名乗りました。
しかし即位後二ヶ月ほどで藤原秀郷らに討伐されました。
彼の首は京都の七条河原にさらされましたが、首が東に飛んでいったとか、その後の長い歴史の中でも彼のたたりは語り継がれています。死後、怨霊になり、伝説の人となりました。
この場所は皇居に近く、ホテルやオフィスビルも建ち並ぶ東京の中心地です。
2 件のコメント:
ここは元古墳だったところですね。
昔の写真見ると思いっきり古墳です。
古墳の主はここが日本の中心地になるなんて夢にも思わなかったことでしょう。
しかもここが神田明神の発祥地であり中世には
能などの神事が営まれていたらしいですね。
確かその日時が今の神田明神の祭礼日だっような...
しかもこの辺は入江で海に面しており皇居の水位がこの付近では手が届く位低いのも元々海だったところをそのまま堀に使用しているらしいです。
太田道灌時代はその入江を利用して物資を江戸城に運んでいたそうです。
当時銀座は半島状態になっており不便なので江戸初期にこの辺りは全て埋め立てて今の状態になったとか。
しかもその埋め立ての土は御茶ノ水駅の神田川になっているところの土であそこは当時山でそれを掘削して川にしたとか。その掘削した土を埋め立てに使ったんですね。
よく人力であそこまで出来るものだと驚いてしまいます。
また発掘調査ではこの辺りから東京駅辺りまで人骨が発掘されており中世武士団の墓になっていた可能性があるらしいです。
あんなビル街にも深い歴史があるものだと感心します。
からまちさん、コメントありがとうございます。
平将門の首塚の場所も、その後の歴史といろいろなつながりがあるのですね。
徳川家康は江戸普請として、道三堀を作ったり、神田山を切り崩して埋め立てをしたり、
その後の江戸、東京を築いた人ですね。
当時は築城技術もあったので、私たちが想像する以上に、土木技術は発達していたのかな、
と思います。
コメントを投稿