2013年8月4日日曜日

横浜・石川町へ 1

横浜の呉服屋さん「じざいやさん」▼で津軽三味線の演奏会があるというので、石川町まで行ってきました。


ここはかつて私の両親が住んでいたところです。

両親は二人とも東京の下町生まれ、戦後は長いこと杉並区に住んでいたのですが、平成の初めの頃、父が「海の見えるところに住みたい」と言って、何を考えたのか、横浜に引越してしまいました。

当時、両親はまだ60歳代だったと思います。
二人とも若くて元気だったので、引越も自分たちでやっていました。
それまでは庭付きの家に住んでいたのですが、初めてのマンション暮らしを堪能していたのでしょう。
横浜に移ってからはあちこち旅行に行ったり、スイミングや墨絵などをして楽しんでいたと思います。
ここからはYCAT(横浜ターミナル)も近いので、二人は海外旅行にもたびたび行っていたようでした。

石川町というところは、オシャレなショッピング街である元町に近く、また中華街や横浜スタジアムなども歩いて行ける距離でしたので、私はまだ小さかった娘を連れて、よく横浜に遊びに行きました。スタジアムでのコンサートの音がよく聞こえてくるところでした。
両親の住まいを拠点にして、桜木町や伊勢佐木町、港の見える丘公園、山手のほうまで、あちこちと出かけたものでした。

たまに遊びに来る孫(私の娘)の世話や、1年に1回ほど海外からお里帰りをする妹の一家との再会を楽しみにしているような、絵にかいたような老後生活であっただろうと思います。


ところがその後、父の身体の具合が段々と悪くなり、私も電車を何回も乗り変えて横浜まで行くのは大変になったので、住み始めてから10年後ほどたったとき、私の住まいの近くにマンションを見つけて、そこに住ませることにしました。

それまでの間、石川町はときどき訪れる楽しい場所でした。
実家というよりも、観光に行くようなところでした。

その父も14年ほど前に亡くなり、また母は生きてはいますが、ほとんど記憶喪失の状態です。
ですから二人が石川町に住んでいたということは、私の記憶の中にしかありません。

今ではもう、母に「石川町に行って来たわよ」と話しても、何も分からないでしょう。

石川町は、バブルの時代の頃の思い出です。

私もだんだんと年をとり、両親が石川町で生活をしていたころのような状況になりつつあります。
月日の流れは早いものですね。

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演奏後に演奏家の橋本大輝さんと。


演奏会のお話はまた後で。




2 件のコメント:

マサ さんのコメント...

ご両親が横浜に住んでいたとは、知りませんでした。
子育てや仕事が一段落し、海の見える場所で、ゆったりと人生を楽しんでいたのでしょうね。理想的な生活でしたね。
お母さまも訪れたら、何か思い出されるのではないかしら。

おおしまとしこ さんのコメント...

マサさん、理想的かどうかは分かりませんが、それまでおばあちゃんがいたので母としては気苦労が多かったでしょうけれど、横浜では自由に生活できたのでは、と思いますね。
私にとって横浜は観光目的で、あちこち行けて楽しかったですね。