それでも子供の頃から、終戦記念日になると、周囲の大人たちが、「あの時の放送は雑音が多くて、何を言っているのかよく分からなかった」とか「みんなで正座してラジオの前で陛下のお言葉を聞いた」など話していたことはよく耳にしていました。
また私が通っていた幼稚園の園庭には防空壕がまだ残っていて、そこで隠れんぼをして遊んだこともありますし、小学校には天皇・皇后の「ご真影」を立てて校長が朝礼をする台(正式名は分かりませんが)があったことも覚えている世代です。
しかしながら、終戦直前・直後のことに関しては、ちゃんと学んだことはありませんでした。
ですからあの「玉音放送」にしても、生放送されたものだとばかり思っていました。
まして、その文面がどのようにして作られ、どのようにして収録されたなど、考えたこともありませんでした。
そのようなあやふやな体験しかなかった私ですが、「日本のいちばん長い日」では、その玉音放送に関してもきちん真実が明かされるらしいというので、どのようなものかと期待して、映画館に足を運びました。
のっけから驚いたのは、天皇(昭和天皇)が堂々と映し出されていたことでした。
それもあのモックン(本木雅弘)が演じていたのです。
これまでの戦争映画にも天皇が登場することはありましたが、普通は顔は出さずに後姿だけとか影だけとかいうのが多かったので、天皇がちゃんと話し、歩くというシーンがあるだけで、普通の映画と違うなと感じました。
映画の副題に「The Emperor in August」とあるように、この映画は天皇が主役といってもよい映画だと思いました。
さて他の登場人物は、当時の内閣総理大臣(山崎努)、陸軍大臣(役所広司)、内閣書記官長(堤真一)、玉音放送を阻止して徹底抗戦を果たす反乱を起こす陸軍少佐(松坂桃李)など豪華メンバーです。
時は1945年。
次第に日本の戦況が悪化して、8月6日・9日の広島・長崎への原爆投下、いよいよ降伏か、という8月13日、14日、15日のころを時間を追って克明に描いていました。
まさに今から70年前の8月の今頃の話です。
あまりに知らないことが多すぎました。
天皇の玉音放送はあれは前日に収録されたものであること、陸軍の若手が内乱を起こそうとしていたこと、陸軍大臣は切腹をしたこと・・・。
こんな事実があったとは、驚きでした。
まさに歴史の裏側ではこういう動きがあったのですね。
私のように、「戦争を知らない子供たち」世代の人間でもこれほど知らないことだらけだったということは、今の若い人や子供たちにはどのように感じ取ったでしょうか。
戦争は始めるときはパワーもあるので後さき考えずに始めてしまうのでしょうが、終結するときは大変なのだなと思いました。
まさに天皇の「聖断」でしか、終結できなかったのですね。
そして恐ろしいのは、「狂気」です。
軍隊の中にいると、周りから見たら異常とも思える狂気が、すべてを支配してしまうのですね
独特な軍隊口調や、敬礼やお辞儀の仕方も、今思えばまるで滑稽な姿なのですが、当時はそれが正しく間違いのないものだと思われていたのです。
それは時代の影響だと言って片付けてしまえるものなのか、あるいは人間本来のものなのか。
これからも狂気が生まれない社会であってほしいものです。
映画館には中高年はもちろんのこと、若い人もカップルも子供もたくさん見に来ていました。
それぞれがどのような感想を持ったか、聞いてみたい気持ちになりました。
この映画の監督・脚本の原田真人さんは、ちょっと前に見た「駆込み女と駆出し男」▼も作った人だと後で気づきました。
あの映画は登場人物のほとんどが女性でしたが、今回はほとんどが男性で、軍人だらけなので、ちょっと誰が誰だか混乱してしまうこともありました。
外国人に見てもらうときには、登場人物の下に簡単なテロップ(肩書き)を入れた方が分かりやすいのではないかと思います。日本人の顔はみな同じに見えるかもしれませんので。
映画の各シーンはCGを使った場面も多いは思いますが、建物や小道具にもずいぶんとお金をかけて再現したのではと思うこともありました。
とくに日本の古い民家などはどこでロケをしたのだろうと思うほど当時の雰囲気をよく表していて、気になりました。
細かいことですが、木製のガラス窓のガラスも昔風の歪んで見えるガラスが入っていて、よく考証されているようでした。
また家族そろってトランプで遊ぶシーン、子供たちとの入浴シーン、帰宅すると浴衣に着替えるシーンなどは、政府の要職にある人でもゆったりと家族とすごす時間があったのだ、と昭和の暮らしを思い出しました。
映画を見終わった後、母のホームに出かけました。
母に「おかあさん、玉音放送って覚えている?」と話しかけてみたのですが、相変わらず覚えていませんでした。それが良いことなのか残念なことか分かりませんが。
そういえば、父は陸軍で経理を担当していて、戦争中にはマレー半島の方へ行っていたことを話していましたが、いったいどこで玉音放送を聞いたのかは、聞いたことはありませんでした。
どんな思いで、ラジオを聞いていたのか、生きているときに尋ねておくべきだったと今になって思いました。
戦後70年の節目の年にこの映画が公開されて、多くの人が事実を知ることができるのは、良いことだろうと思いました。
*****
この日の装い。
気温が30度くらいでそれほど暑くなく、おまけに雨模様でしたので、先日仕立て上ったセオアルファーのデビューにちょうどよいと思って着てみました。
仕立て上った時は、こんなふうに紫の帯を仮に当ててみました▼が、今回は映画の内容も考えてあまり派手でない帯を選びました。
オフホワイトの麻の帯です。
映画館では右隣に座ったヤンキーママはポップコーンを食べ散らかすし、左隣に座った男性はビールをぐびぐび飲んでいるので、着物にかかるのではないかとヒヤヒヤでした。
いくらすぐに洗えるポリ着物でも、おろしたてのときから汚されたくはありませんよね。
2 件のコメント:
としちゃん、観に行かれたのね。
私好みの作品ではないのでどうしようかなぁ~と思っていましたが、玉音放送についても戦争そのものについても知らないことが多すぎるので、観ておくべきかもしれませんね。
今日の読売新聞に、原作者の半藤一利さんの話が載っていました。
「みんな日本がどう負けたのかを知らない。後々のためにきちんと残すべきだと思った」とおっしゃっています。
あの段に至っても、徹底抗戦を計画し天皇の放送を阻止しようとした人たちがいたようですね。
そういえば、テレビを見ながらお昼ご飯を食べていたら、モックンが出ていました。
ちょっと神がかった雰囲気がありましたよ(笑)
インタビューしたアナが、「アクターというより、アーティスト」みたいなことを言っていました。なるほどね。
マサさんにとっては、こういう映画にはよく出演する佐藤浩市が出ていないのも、なんとなく二の足を踏む原因でしょうか?
本当に知らなかったことが多かったですね。
最後まで徹底抗戦をしようとした人たちがいたとは聞いていましたが、8月15日ぎりぎりまで動いていたというのは知りませんでした。
というか、今まであまりオープンにできなかったのかもしれませんが。
モックンは、もうシブがき隊のモックンと言ってはいけないような雰囲気でしたよ。
挙動や話し方など、そうとう練習されたのだろうと思いますよ。
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