このところ、「用水」に興味を持ち、あちこちの用水跡などを探しては歩いていますが、実際のところ、私の理解の中では、用水そのものがあやふやでした。
生まれてからずっと東京育ちで、農業とは縁がない生活をしていました。
農業用水や工業用水という単語は知ってはいても、どのようにして使用されるのか、どのような設備が必要なのか、分からないまま、用水を歩いていたというのが実態でした。
そこで少しでも昔の農業の様子が分かるところはないかと思っていました。
たまたま川崎市多摩区ガイドマップを眺めていたところ、面白そうなところがありました。
「菅郷土資料館」です。
私の住んでいる場所からもすぐに行けそうなところなので、出かけてみました。
京王稲田堤の駅で降りました。
郷土資料館は、駅から数分歩いた普通の農家の横に立っていました。周囲には花や植物のビニールハウスがありました。
お話を聞くと、この資料館を作ったのはご主人の高橋孝次さんという方で、3年ほど前にお亡くなりになったそうです。それでも未亡人の方はしゃっきりとされていて、記憶力も明白で、たくさんお話をしていただきました。
ここには江戸時代からの古い農具などが展示されていました。
初めて見るものがたくさんありましたが、中でも「むしろ」の製造機があるのはびっくりしました。はたおりの機械と同じような理論で作るようでした。「ござび」と言うそうです。
こちらのお宅では米以外に、梨や桃も育てていたそうです。
また「のらぼう菜」という野菜の栽培や広報についても力を注ぎ、著書も出されていました。
のらぼう菜は、菜花のような葉物で、甘い味がします。
その本は本屋さんでも売られていました。
地元の小学校でのらぼう菜を絞って油を作る、という教育もされていました。
また高橋さんのご主人は多摩川の歴史についても詳しく研究され、この地域では大昔から何回も洪水があったと言うお話も聞きました。
そしてこの地域や日本全体の歴史を年表にまとめたり、手書きの地図を作ったりと、後世の人間に伝承されることに力を注いでいらっしゃった方でした。
むしろの後ろにあるのが、その年表です。
ニケ領用水を作った小泉次太夫のことも勿論よくご存知で、生前は奥様にもよくお話しをされていたそうです。
たまたまお邪魔した資料館で、農家の昔話をたくさん聞くことができて、とても良い体験ができました。
この奥様は、私の亡くなった母よりは年下でしたが、若い頃は都心で育ち、戦争で疎開をされ、東京オリンピックの時にこちらに嫁いできたという方でした。まさに昭和の歴史を生きてきたのですね。
当時は多摩川を板のようないかだに乗って渡るので、とても怖かったというお話もされました。まだ京王線が調布市までしか、走っていなかった頃の話です。
資料館の隣には野戸呂稲荷神社が建っていました。この地域のみなさんの支えとなっているようでした。
自分の足で歩いてみると、いろいろな発見があるものです。
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「一日一句」
多摩川の 歴史訪ねる 冬の日に
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