2024年1月23日火曜日

稲田堤が面白い

私は京王線ユーザーです。

そのため、JRを利用する場合は、新宿で乗り換えるか、あるいは京王稲田堤駅まで行き、そこからJR南武線の稲田堤駅まで歩いて、そこで乗り換えるかの方法があります。

ところがこの稲田堤駅で乗りかえるのが、かなり不便なのです。京王線の駅とJRの駅は数分離れていますが、なぜ同じ場所にしなかったのか、その理由はよく分かりませんが、とにかく乗り換えが面倒なのです。

JRの稲田堤駅は、最近、駅舎の新築工事をして、かなり便利で美しくなりました。ただし、工事が全部終了するには、まだ時間がかかりそうです。

以前、通勤に利用していた頃は、この二つの稲田堤駅の間を移動するのが、非常に面倒で嫌でした。

ところがです。川歩き、用水歩きをするようになってからというもの、この二つの駅の周辺は、暗渠の宝庫だと思うようになったのです。

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先日は、およそ、このような地域の中を、ぐるぐると歩いてきました。


北側には多摩川が流れていて、その先は調布市になります。
南側は、川崎市多摩区です。

稲田堤の「稲田」という文字が示すように、ここ稲田村では良質の稲毛米がとれていました。
また多摩川の堤は桜の名所として有名でした。地図の右上にある稲田公園のあたりですね。

前回のブログで、郷土資料館に行った話を書きましたが、今回のブログは、その周辺の様子となります。

一番の感想は、この地域は用水の宝庫だということです。

郷土資料館を探しているときにも、用水を見つけました。

ここは「大丸(おおまる)用水」という用水でした。

この大丸用水は、お隣の稲城市の多摩川から取水して、川崎市登戸まで流れているそうです。江戸時代から、このあたりの村々を潤す貴重な農業用水でした。17世紀頃に作られたそうです。


かつては田畑を潤した用水も、今は草がボーボーと生えていました。


このあたりは幅も広く、とても深い用水でした。
蓋がないところが多く、これでは落ちる人がいるのではないかと心配しました。

郷土資料館の近くでは、用水の脇に小さな石のほこらのようなものを発見。中にはお茶のボトルが置かれていました。


このすぐ近くには、用水がありました。


用水はあまりきれいではありませんでしたが、この日は良く晴れていて、青空とドウダンツツジ(?)の彩りが見事でした。


このあたりはどこもかしこも用水の跡だらけで、あまりに多くて写真を写すのはやめて、散歩に専念しました。

最初の地図に「原島踏切」という文字を入れましたが、この近くには原島さんという方が昔から住んでいらっしゃるようです。原島歯科という歯医者さんもありました。

JR南武線の小さな踏切です。


南武線は昔はチョコレート色の車体でしたが、今ではきれいな黄色とオレンジ、茶色のおしゃれな車体となりましたね。


踏切を渡り、府中街道を東に歩き、京王線の稲田堤駅に向かいました。

途中、サイゼリヤで休憩タイム。


そしてその後は、私が長年、疑問に思っていた場所を歩いてみました。

それは二つの稲田堤の駅の間にある畑の中の道です。
敷地の半分は駐車場なのですが、なんだか分からない道があるところです。
そこへ入って行ってみました。
かなり怪しいおばさんだと、思われたかもしれません。
それでも、道が続くところまで、どんどん歩いて行きました。


車のそばに細い道があります。


もっと歩いて行くと、覆いの下には水が流れていました。
やはり用水の跡だったのでしょう。


向こうに見えるのは、京王線の稲田駅堤駅です。


この先は、さすがに入れなくて、後戻りしました。

この駐車場の向かいにある駐輪場も、草ボーボーの下は水路になっていました。


バイク置き場の向こうがわも、かつての水路でしょう。


「バイク定期利用」の向こう側には、穴が空いています。


水路に沿った細い道を、バイク置き場として利用したのでしょう。

ここは二ヶ領用水なのか、大丸用水なのか、あるいは他の用水なのか、判断はつきませんが、昔の農地に利用されていたということだけは確かだろうと確信しました。

現在は駅前の駐車場となっていますが、かつての風景が浮かび上がるようでした。

稲田村のお米作りに大いに役立ったのでしょう。

なんだかまとまりのないブログになりましたが、多摩川の向こう側にある稲田堤は、かなり魅力的なところでした。

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「一日一句」

駅前の 冬の風景 今むかし


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