この巻は、本筋とはちょっと関係がなくて、赤鼻でお馴染みの末摘花(すえつむはな)さんが登場するところです。
メンバーで原文を少しずつ読み進めましたが、誰が読んでも、スラスラと行かないのです。
つっかえてしまう個所がとても多くて、読みにくい文章でした。
(会場のベランダに咲いている花です)
それでみんなの意見が一致したのは、
「ここは紫式部がほんとうに書いたのだろうか」という疑問でした。
本人が書いたとしても、ここだけは別の時に書いたのではないか。
そんな意見がありました。
「蓬生」の巻は、文体というか、文章がそれまでとあまりに違うのです。
眼で読んでいる時には気づきませんが、声に出してみると、なんだか別人の文章のように感じました。
素人の感想でしたが、そういう学説はないかしら。
ということで、ちょっとネットで探してみたら、源氏物語の成り立ちについての説が載っていました。
こちら▼です。
つまり源氏物語には、Aというグループと、Bというグループの二つがあり、そのAとBを分けるのが、「蓬生」ではないかという説明がありました。
私たちも似たようなことを考えたのですが、これってど素人にしたら、すごい発見ですよね!
やはり原文を声に出して読む、ということは成果があることなのだ、と思いました。
さて、今回、図鑑のお世話になったところは、「紙」についてでした。
本文では、「紙屋紙(かんやがみ)」「陸奥紙(みちのくがみ)」という名前の紙が出てきました。
図鑑で調べたところ、平安時代は紙というのはとても貴重なものであり、製造は国の機関(紙屋院)で漉いて行っていたようです。
主に宮中で使われていたそうですから、一般庶民はお目にかかることも少なかったかもしれませんね。
現在は、紙は誰でも自由にどこでも買えますし、保管も廃棄も簡単にできます。
平安時代の人々には申し訳ないくらいですね。
ただし、将来、ペーパーレスの時代がやってくるかもしれません。
その時は、紙はまた貴重な存在になるかもしれませんね。
紙と言えば、メンバーのお一人が「紙継ぎ」という趣味をお持ちです。
「王朝継ぎ紙研究会」という会にも参加されています。
和紙をちぎったりして貼り、裏打ちをして、そこに文字を書いたり、箱に貼ったりするそうです。
この会は、初めは近藤富枝さんが主宰されていたそうです。
近藤さんと言えば、源氏物語に関する著書もたくさんある方ですね。
4月には継ぎ紙の展示会が鳩居堂であるそうなので、ちょっと覗いて見ようと思っています。
なんとも優雅な趣味ですね。
紙が大切なものであったこそ、ほんの少しの紙でも利用していたのでしょうね。
「王朝継ぎ紙」のサイトはこちら▼。
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この日の装い。
だいぶ春めいてきたので、ぼってりとした紬の着物は着たくないですね。
それで、昨年末、「みかん箱一杯着物詰め放題」というイベント▼で仕入れた、大島紬風の着物にしました。
さらりとしていて春先には着やすい着物です。
かなり地味な小花模様なので、白いレースの帯で、ちょっと明るくしました。
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