2020年6月15日月曜日

「野の花巡り」4 テイカカズラ

先日、水生植物園で「野の花巡り」▼をした時、とても大きな木が立っていましたが、そこにはぎっしりと花が巻き付いていました。


さて、あれは何だろうと思っていると、先生は「テイカカズラですよ」とのこと。
テイカカズラが、こんなにすごいものとは思っても見ていませんでした。

というのも、「テイカカズラ」は「定家のかずら」という意味で、小倉百人一首で有名な藤原定家にまつわる植物なのです。

「定家」という能楽は、定家さんが愛する式子規内親王に対して、死後はテイカカズラになってお墓に巻き付いたという伝説に由来しています。

それで私はお墓に巻き付くのなら、小ぶりな蔦のようなものだと思い込んでいたのですが、こんなに立派で、なおかつ花が咲いているのには驚きました。

ちなみにテイカカズラの花は、5月~6月の初夏にかけて咲くのだそうです。

ここでちょっと定家と式子さんについて調べてみました。
お二人とも平安時代後期から鎌倉時代初期にかけて生きた人です。
式子さんが生きた時代は1149-1201年、定家は1162-1241年なので、式子さんのほうが13歳年上ということになりますね。

また式子さんはあの後白河天皇の皇女で、賀茂斎王をしていた高貴な方です。
源氏に平家打倒の勅令を出したという、以仁王の兄弟です。

定家は有名な歌人である藤原俊成の息子です。

この2人は恋人関係とされていますが、父親の俊成が二人を別れさせようとしたそうです。

その時、式子さんはこの歌を残しています。
「玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば
 忍ぶることの 弱りもぞする」

「た」を連続して使用して、流れるような言葉が印象的な歌ですね。

また定家が百人一首に残したのは、
「来ぬ人を まつほの浦の夕凪に
  焼くや藻塩の 身もこがれつつ」

どちらも恋の歌ですね。

という関係ですが、実は式子さんの本命は「法然」さんだったとか。
えー、法然さんといえば浄土宗のお坊さんですよね。
斎王とお坊さんが関係していたというのは、本当でしょうか。

ところでテイカカズラが巻き付いたという式子さんのお墓は、北野天満宮の近く(千本今出川)にあるそうです。

また定家のお墓は、同志社大学の北側にある相国寺にあり、ここには足利義政のお墓、伊藤若冲のお墓と並んでいるそうです。なんとも不思議な組み合わせですね。

そういえば、以前、誰かの歴史小説を読んだとき、若冲の話だったと思いますが、「テイカカズラ」の話が挿入されていたような記憶があります。
誰の小説だったのかよく覚えていませんが、面白い話でした。

ということで、水生植物園でテイカカズラを眺めながら、いろんなことを思い出していたのでした。
植物と歴史の話、意外な結びつきがあって、面白いですね。

ちなみにテイカカズラの白い花は、ジャスミンのような香りがするそうです。

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「一日一句」

怨念かテイカカズラの白い花


2 件のコメント:

うたどん さんのコメント...

先日は お疲れ様でした。 花の名前と 歴史 には驚いてます。
雄しべが?? 雌しべが? 対生 とか植物に対しての お勉強でしたが、
歴史から入るとしちゃんさんに お手上げです。また つつじが丘もありますので
ぜひ おいで下さい。

おおしまとしこ さんのコメント...

うたどんさん、テイカカズラの実物を初めてみたので
先生の話はあまり聞いていませんでした(笑)。
そういえば対生とかお話されていましたね。
恋人のお墓にまとわりつくなんて、
定家さんは、今でいうストーカーのような存在だったのかしらね。