今から45年ほど前、中野区野方にある小さな出版社でアルバイトをしていた時期がありました。
その頃は、中央線の高円寺駅からバスに乗って、野方まで通っていたと思います。
その出版社は「週刊現代」の記者をしていたYさんという硬派の人と、彼の友人が二人で経営していた小さな会社でした。お二人ともまだ30歳代前半だったでしょうか。小さなアパート(当時はマンションなどなかった)の部屋を借りて、取材や執筆をしていました。
そこには「週刊ポスト」に記事を書いていたYさんの弟さんとか、印刷会社の人とか、長野県の高校の先生とか、Yさんの奥様とか、旅行会社の添乗員さんとか、種々雑多の人たちが出入りして、常にワイワイと賑やかな毎日を過ごしていました。
私は簡単な仕事しかしませんでしたが、それでも将棋の加藤一二三先生などに原稿を受け取りに行ったこともありましたっけ。ニコンのカメラを持たされて、いっちょ前に取材に行かされてこともありました。
それでもあまりに濃密な人間関係に巻き込まれそうになり、適当な時期に退散しました。短い期間でしたが、そんなわけで野方は若かりし頃の、懐かしの場所なのです。
その野方で、「日本橋きもの倶楽部」のフリマがあるというので、電車を乗り継いで出かけてみました。このイベントは、コロナのためにずっとお休みでしたが、なんと10ヵ月ぶりに再開されたそうです。
当時の記憶はまるでなくなっていましたが、現在の野方は、小さな商店がたくさん並んでいて、賑やかで楽しそうな場所でした。
その後は野方の駅から関東バスに乗って、高円寺のほうまで行ってみました。
この赤い関東バスにはお世話になったものです。
高円寺の駅もホテルができたりして、あまりの変化に呆然としてしまいました。半世紀近くも経てば、景色も変わるものですよね。
「忘却の彼方」という言葉がありますが、今回は「忘却の野方(のがた)」でした。
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この日の装い。
「日本橋きもの倶楽部」ではイベントごとにコーディネートが指定(?)されていますが、今回は「クリスマスコーデ」ということで、赤・緑・黒でまとめてみました。
とても小さな寸法の銘仙です。着物を着始めた頃に、地元の骨董市で見つけたものです。大きな牡丹がお気に入りですが、いったいいくつになるまで、こういう着物を着られるのでしょうか。
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「一日一句」
忘却の彼方を辿る冬の町
2 件のコメント:
間違っていたらごめんなさい。「カトリック・グラフ」の編集していたのでしたっけ?
私は当時お話を聞いてカトリックと週刊現代のギャップに驚いたことがありました。
記憶違いかもしれませんが。
おー、大昔のこと、よく覚えていてくださいましたね。
その通りです。
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