今回の「源氏物語を楽しむ回」は、わりと真面目に進行しました。前回はおしゃべりタイムが多くて、1ページほどしか進みませんでしたが、今回は4ページほど、進むことができました。
いろいろと知らなかった知識も増えました。
まず一つは「韻(いん)ふたぎ」という平安時代の貴族の遊びです。これは漢詩の素養が必要です。漢詩の中で、ある韻字を隠しておいて、それを当てる文字遊びです。光源氏も、友達の頭中将と一緒によく遊んだようです。
また「わかんどほり腹」という言葉も調べてみました。これは皇族の血筋の母親から生まれた、という意味があるそうです。「わか」は「若」と書くようですがなんとも不思議な言葉ですね。
今でも、そのような血筋を大切にしている人もいるとは思いますが、こればかりは自分では選べないので、仕方ありませんね。
今回の「乙女」の巻には、光源氏の長男である夕霧が元服した後の場面が描かれています。元服後には、さまざまな変化があります。
こちらは漫画「あさきゆめみし」から借用しましたが、光源氏も幼少の頃は、こんな髪型をしていました。
それが元服後には、髪の毛を切って、烏帽子を被ります。ちなみに頭髪はさかやきはなく、上の方に上げて、ちょっとお団子のように結んでいたようです。烏帽子が落ちないように、かんざしのようなものを突き刺していました。
烏帽子は、聖徳太子が官位十二階の制度を定めたときに、身分を表すために生まれたようです。
こちらも「あさきゆめみし」の一場面ですが、光源氏の元服後の姿です。初々しくて可愛いですね。
このように童子から大人へとスタイルが変わりますが、元服後に髪を上げて結った時、烏帽子姿の顔かたちが以前よりもかっこよくなる人のことは「上げ優り(あげまさり)」と呼ばれていました。光源氏は上げ優りですね。
反対に、以前よりも見劣りするようになった人は「上げ劣り(あげおとり)」と呼ばれたそうです。
そして驚くことに、当時の男性は、絶対に烏帽子を脱がなかったそうです。烏帽子を取って頭頂を見られるのは、パンツを脱ぐのと同じくらい恥ずかしいことだったそうです。
烏帽子をかぶらないのは、僧侶と、罪人(牢屋に入れられていた人)だけだったそうで、寝るときもいつも烏帽子をかぶっていたそうです。
原文を読みながら、いろいろな言葉を調べていくのは面白ですね。
そしてそこからまたいろいろな話題が広がって行くのです。
*******
この日の装い。
なんとなく緑色の着物が着たい気分になり、深緑の着物を選んでみました。川越の骨董市で、たしか千円で求めたものです。織り込まれた模様が面白い。
帯は、京都のさとさんからのいただきものですが、龍村の帯です。
赤い帯揚げを使ったせいか、クリスマスのような雰囲気になってしまいました。
*******
「一日一句」
春が来た 亭主の好きな 赤烏帽子
0 件のコメント:
コメントを投稿