2025年2月9日日曜日

川崎平右衛門さんのお墓参り

去年の暮れ、「府中郷土の森」で川崎平右衛門さんの像に出会いました。

この人は江戸時代中期、府中に生まれた豪農の息子ですが、その後の彼の人生を辿ってみるととても面白い人だと分かりました。彼は府中だけではなく、その近辺の武蔵野国、美濃や石見銀山でも活躍した人なのでした。

それで彼の一生を追ってみようと思い、まず最初にうちの近くにある川崎家のお墓に行ってみました。

そこは現在は調布市と府中市の境あたりの押立にある龍光寺です。我が家からだと自転車で行ける距離です。

最初に行ったのは2024年の年末でした。

だいたいの場所は分かるのですが、中央高速の下あたりでうろうろしてしまいました。

途中、こんな場所も見つけました。かつては川が流れていたような場所でした。


そこは「ひがしばし」と言われたところで、「二ヶ村用水」という用水に架かる橋の跡でした。押立村の東の橋、という意味のようでした。


このような場所を通ると、ついつい気になってしまいますね。

そして本村神社というところに到着。

なんとそのすぐ隣がお墓のある龍光寺でした。天台宗のお寺です。


入口にはこんな立て札が立っていました。

「ききんを救った平右衛門」。


お寺の中に入ってみましたが、誰も尋ねる人がいませんでした。どれが彼のお墓か分からず、入口にあったお墓の写真を撮ってきましたが、どうも違ったようです。

その後、パソコンであれこれ検索してみると、YouTubeでお墓を写しているのがありました。なんと平右衛門さんのお墓は、境内のずっと奥の方にあるのでした。

とりあえず、お寺の場所だけは分かったので、そのまま年を越しました。

1月になって、また出かけてみました。この日はかなり寒い日でしたので、自転車はやめて今回は電車と徒歩にしました。

飛田給の駅で下車。ここは味の素スタジアムがあるところで、サッカー一色の駅です。

そこから品川道を渡り、坂を下りました。

こちらは少し離れた場所にある押立神社の案内です。

この神社は昔は「手津久里稲荷」と言って、多摩川の近くにあったのが、大水のためにこちらに移ったそうです。

この時の押立訪問は2回目でしたので、それほど迷わずにお寺に到着。

そしてすぐに奥の川崎平右衛門定孝のお墓まで行ってみました。

東京都の案内板があったので分かりましたが、周囲はほぼぜんぶが「川崎家」のお墓ばかりでした。


こちらが平右衛門さんのお墓です。

1767年、というと250年ほど昔のお墓ですが、地震や火災にも遭わずにずっと立っていたのですね。

そしてお墓を後にして、今度は坂を上り品川道まで出て、そこでシルバーパスを使って家まで戻りました。

これから彼にゆかりのある場所をあちこち訪問する予定です。


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