2022年6月8日水曜日

日本橋川を歩く2 一ツ橋〜日本橋 その2

前回のブログは鎌倉橋まででした。ここから南に歩きます。

その後はJRの線路を渡りました。

こちらの「竜閑さくら橋」は2018年3月に新しくできた歩行者専用の橋でした。


竜閑(りゅうかん)さくら橋と読みます。
この橋は神田地区と日本橋地区を結んでいるので、往来が以前よりも楽になったそうです。

橋の上に登り、下を眺めるとこんな様子でした。川に沿って高速道路が作られているのがよく分かります。


でも、立体交差になっていて、どこがどこだかよく分かりませんでした。

とても広くて、広場のような橋でした。幅7メートル、長さは120メートルもあるそうです。

新幹線や山手線、京浜東北線が次々に走り抜けていきました。鉄道好きにはたまらない場所だと思います。

橋にはエレベーターもあるので、階段を上り下りするのがきつい方にも便利です。


こちらのタイル張りのところには「竜閑橋架道橋」と書かれていました。

お次は「新常盤橋」です。このあたりはもう日本橋になります。

オフィス街になっていましたが、江戸時代の名残もあるところでした。

こんなふうに江戸城の石垣が残されていました。

こちらは常盤橋門阯です。

向かいに見えるのは日本銀行。


渋沢栄一の銅像があるということでしたが、どこにあるのか分かりませんでした。


日本橋川の真上に高速道路が走っているのがよく分かりますね。

こちらは「常盤橋」。昭和元年に作られた橋です。


お次は「一石橋」。
一石橋というのは、江戸時代、この橋の北側には幕府金座御用の後藤庄三郎、南側には幕府御用呉服所の後藤縫殿助という人の屋敷があり、後藤をもじって五斗、五斗、で合わせて一石と名付けられた、ということでした。

ここには面白いものも残っていました。それは迷子探しの石碑でした。

こちらは大正11年(1922)に作られた一石橋の親柱です。それ以前は木橋でしたが、こちらは鉄骨コンクリート花崗岩張りのモダンな橋で、関東大震災のときにも落橋しなかったそうです。威風堂々としていますね。

一石橋の歴史は古く、江戸初期に作られ、日本橋地区と神田地区を結ぶ重要な橋でした。


大正11年に架替えられた橋は、アーチ型で照明などのデザインもモダンなものでした。

「西河岸橋」。だいぶ日本橋に近づいてきました。


このあたりは、江戸時代から商業、経済の中心地として栄えきた場所です。

向こう側に日本橋が見えます。

ようやく日本橋に到着しました。


お昼に近づいてきたので、買い物客以外に、サラリーマンの姿も増えてきました。

やはり風格がありますね。

ここには道路元標というのがありました。ここから各地までの距離を測ったのでした。

この日の最後は日本橋三越。


こうやって川沿いに歩いてみると、神田と日本橋は近いのだな、と気づきました。
電車で行くときは、神田は中央線利用、日本橋はメトロ利用をしているので、位置関係がいまいちでしたが、歩いてみると、ほんとうにお隣さんなのだと気づきました。

「一日一句」

江戸明治 大正昭和と つなぐ橋(季語なし)


2 件のコメント:

カンカン さんのコメント...

昨日はありがとうございました。とても面白かったです。
メモは取っていなかったので記事のアップ楽しみにしています。

この中のJFE商事ビルは以前日本ビルディング別館と呼ばれていて、私が勤めていた学会の分室がこの中にあり、育休後何年か務めてい懐かしい場所です。日銀や三越が近くてその辺を歩いた記憶があります。

おおしまとしこ さんのコメント...

そうでしたか。以前はこちらにお勤めだったのですね。歴史もあるよいところでお仕事をされていたのね。江戸城の城壁、素敵ですよね。昔の人が一つ一つ積み上げたと思うと、感慨深いですね。
昨日の対談は、非常に興味深かったですね。