運賃は220円でしたので、それほど遠いところではありません。
登呂遺跡は、住宅街の一角にありました。
この遺跡は、今から1900年ほど前の弥生時代のものです。
ただし発見されたのが、太平洋戦争中の昭和18年だというのには驚きました。
たまたま水田地帯に軍需工場を作ろうとしていた時に、発見されたそうです。
ところが戦争中のため、本格的な遺跡発掘作業はできず、戦後の昭和22年ごろになってようやく学術調査が始まったそうです。
住居の中は真っ暗でした。
こういうところには、数人で生活していたそうです。
その後、平成の再発掘調査を行い、細部のことも明らかになったそうです。
「静岡市立登呂博物館」▼に入りました。
ここには弥生時代後期の水田の復元、農具、土器などが展示されています。
ガイドさんが丁寧に説明してくれました。
小学生の頃に高床式住居と習った記憶がありますが、それは住居ではなくて、米を保存しておく倉庫だということでした。
ネズミが入らないような工夫がしてありました。
また住居だと思われていたのは、実は神殿だったということも分かりました。
壁には当時の様子が描かれています。
水田に苗を植えているところですね。
富士山の位置が実際とは違うようです。
静岡でラグビーのワールドカップが行われた前日だったので、ユニフォームを着たお客さんもいました。
貫頭衣を作っている場面です。
この道具では、幅の狭い布しか織れなかったので、身体の中心のところでつなげてあるそうです。
ということは針と糸もあったわけですね。
ここではいろいろな体験ができて面白かったです。
貫頭衣を着たガイドさんと火おこし体験をしましたが、これが難しい。
キリのようなもので穴を開けます。
熱を持った木の屑を集めて、そこから火を起こすのだそうです。
火を起こすだけで時間がかかってしまいます。
昔の人は、気が長かったのですね。
マスコットキャラクターの「とろべー」といっしょ。
頭は竪穴式住居で、貫頭衣を着ています。
こちらは静岡茶の羊羹の包み紙。
中味は食べてしまった後でした。
ここは、子供と来たらもっと楽しめたと思います。
(この項、続きます)
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