2020年3月2日月曜日

2020年2月 沼津 7.若山牧水記念館

昨日のブログ▼に、沼津には文学者が多く住んでいたと書きましたが、その中の一人、若山牧水についてちょっと紹介してみます。

千本浜の近くに、「若山牧水記念館」▼という建物がありました。


(左上が赤いのは、スマホのカバーが外れてしまい、レンズにかかっていまったため。)

牧水のことはほとんど知りませんでしたが、急ぐ旅でもなく、時間もたっぷりあったので、せっかくなので中に入ってみました。


若山牧水は明治18年(1885)に宮崎県で生まれ、早稲田大学に通いました。
卒業後は新聞社に務めましたが、すぐに辞めてしまい、東京での生活に疲れた牧水は、大正9年(1920)に沼津に越してきました。
温暖で静かなところが気に入り、また病気がちだった妻子も元気になったそうです。
写真で見ると、牧水はかなりおじいさんのようなお顔をしていますが、昭和3年(1928)に43歳で亡くなりました。

牧水は、とにかくたくさんの歌を作った方でした。
詩歌総合雑誌の発行もしていました。
また紀行文や随筆も、信じられないほどたくさん残していました。

一番有名なのは、
「幾山河こえさりゆかば寂しさの
 はてなむ国ぞけふも旅ゆく」
でしょうか。

この歌碑があったのが、こちらの千本松原です。


この方の歌碑は、旅行先のあちこちで見かけます。
去年、三島に行った時▼もありました。
なんと、牧水の歌碑は、日本各地に160以上もあるそうですよ。

ある時、静岡県では「千本松原伐採」という計画があったそうですが、牧水はその反対運動の先頭に立ち、県はこの伐採を辞めたそうです。
それほど千本松原を愛していたのでしょうね。

牧水は、酒と旅を楽しんだ詩人だったのでした。

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牧水記念館の向かいにあったのが、「沼津倶楽部」▼という超高級な旅館でした。


記念館の方に教えていただいたのですが、ここはミツワ石鹸の社長だった人の持ち物だったそうです。
ちょっとだけ覗いて見ましたが、とても素敵なお庭が見えました。


ここは、将棋の対局会場として有名なところだそうです。
去年の6月には豊島将之棋聖と渡辺二冠が対戦したのだそうです。


そしてその解説は牧水記念館で行い、ネットテレビで流したというのですから、沼津は将棋ファンには聖地のようなとことなのでしょうね。

ちなみに棋士さんは、沼津倶楽部に泊まり込んで、対局に備えるのだそうです。

おもむくままにあちこち歩いていると、いろんな発見があるものですね。
これだから旅行はやめられません。
牧水さんもそんな気持ちだったのかな。

(この項、続きます)


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