2020年3月27日金曜日

「今ひとたびの、和泉式部」

コロナウィルス報道一辺倒で鬱陶しい毎日ですが、家にいる時間が増えることは、読書にはうってつけです。

さて、私の大好きな作家である諸田玲子さんの著書を、立て続けに読んでいます。
今回は「今ひとたびの、和泉式部」という王朝もの。
江戸時代が舞台の時代小説が多い諸田さんですが、こういう世界を描くも、いいですね。


和泉式部という人は、和泉守と結婚していたので「和泉式部」と呼ばれています。
当時は女性の名前は、「だれそれの奥さん」とか「だれそれの母」とか呼ばれていたのです。
ですから、名前は分かりません。
名前が分かっている女性は、藤原氏の娘とか、天皇の奥さんとか、それくらいの時代です。

さて、和泉式部は道長の時代の女性で、道長の娘・彰子に仕えていました。
紫式部や清少納言、赤染衛門なども同時代の人物です。

「恋多き女性」として有名な人ですが、この小説を読んでみると、自ら男を求めたということではなく、たまたま男に顔を見られてしまった、というきっかけで恋愛が始まったということが多かったようです。
当時は、顔を見られただけで、恋愛の対象となっていました。
そして愛した男が次々に亡くなってしまうという悪運が続き、前の男のイメージを求めて、次の男になびいてしまう、という面があったようです。

この小説の面白いところは、その構成です。
半分は和泉式部が生きていた時代のお話、
そしてもう半分は、彼女が亡くなった後に、彼女を偲んだ人たちの追想形式となっています。

そして当然、和泉式部が読んだ歌も出てきます。
私は和歌はほとんど分かりませんが、それでも彼女のシンプルな情熱が伝わってくるような気がしました。

一番有名なのは、百人一首にもあるこの歌ですね。
「あらざらむこのよのほかのおもひでに いまひとたびのあふこともがな」

もう死にそうな私です。もう一度、あなたに会って抱かれたいというストレートな心情の歌です。
当時の「会う」あるいは「逢う」というのは、男女が一夜を過ごすということですから、切実な思いがあったのでしょうね。

そして彼女の娘(最初の夫との間の子供)の小式部内侍(こしきぶないし)の歌も有名ですね。
「大江山いく野の道の遠ければ  まだふみもみず天の橋立」

これは和泉式部が、夫に伴って丹後に赴任した時の歌ですね。
小式部内侍の歌は、母親の和泉式部が代作しているのだろうと疑った男に対して、
「何言っているのよ、私が自分で作ったのよ」と言い放った歌ですね。

残念なことに、小式部内侍もお産の直後に、若くして亡くなってしまいました。
和泉式部はいったい何人の人に先立たれたのでしょうね。
ただし、当時は疫病で亡くなる人が非常に多く、都の道路にはそのような人たちの遺体がごろごろしていたようです。

そして当時の実力者である藤原道長と、彼女の理解者であった行成も、なんと同じ日に病気で亡くなってしまいます。

美しい恋愛の歌の背景には、道長を中心とした政治的な勢力争いがありました。
男たちは、天皇であれ、貴族であれ、その行く手は道長の力に左右されていたのです。
和泉式部の愛した人たちも、その政治の力により、引き離されたり、殺されたりしています。
女性はその中で、歌を作ることくらいしか抵抗できなかったのでしょうか。

意外なことは、千年も昔の話であっても、当時の貴族(今でいう中央官庁の役人かな?)は、かなり頻繁に各地を往来していたということです。
地方の役人になれば、丹後であろうと、常陸であろうと、夫はそこに赴任していきました。
都に残る女性もいましたが、地方に一緒に付いて行く女性もいました。
牛車で旅をしたのか、分かりませんが、その頃から交通網が発達していたのでしょう。
これは「源氏物語」を読んでいても、感じることです。

「今ひとたびの、和泉式部」は非常に面白かったので、2回も読みました。

そして、その後、この漫画も読んでみました。
「和泉式部日記」です。


なんと「キャンディキャンディ」を描いた、いがらしゆみこさんの漫画です。
こちらは、和泉式部が帥宮(天皇の息子、元は彼のお兄さんが恋人でした)と付き合っていた時代を描いています。

情熱的な和泉式部が、おメメパッチリな姿で登場しています。

こういう世界に浸っていられるのは、幸せな時間です。




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