2019年6月21日金曜日

2019年6月 日帰り京都 2 東本願寺

さて、渉成園は東本願寺の別邸▼と書きましたが、本宅の方にも伺ってきましたよ。

東本願寺は浄土真宗「真宗大谷派」の本山で、正式名称は「真宗本廟(しんしゅうほんびょう)」と言うそうです。
地元の方には「おひがしさん」として、親しみを持って呼ばれているところですね。

こちらの門をくぐって入ります。


この門は、「御影堂門(ごえいどうもん)」と呼ばれていて、京都三大門の一つだそうです。
パンフレットによれば、高さ27メートル、瓦は59,000枚、使われているのだとか。
すごいですね。

こちらが境内の案内図です。
目に付くのが、AED設置場所と、トイレの場所の多さでした。
多くの方がいらっしゃるので、必要なのでしょうね。


こちらは「御影堂(ごえいどう)」です。
大きな建物だと思っていたら、なんと木造建築では世界最大級なのだとか。
高さは38メートル、長さは76メートル、瓦は175,000枚使われているそうです。
ここには親鸞聖人の御真影が安置されているので、御影堂と呼ばれています。
中に入って、お参りをしてきました。
信者さんだと思うのですが、身体を畳になすりつけるようにして、お祈りしている方がいらっしゃいました。
外国からの方もいらっしゃいました。


「本願寺」の歴史を辿ってみました。
すると、なかなかいろいろなことがあったのだと分かりました。
もともとは、親鸞の娘の覚信尼と弟子が、親鸞の遺骨を収納するための廟堂を建てたのが、本願寺の始まりだそうです。
その後、大谷本願寺と呼ばれるようになりました。
そして山科本願寺、石山本願寺などと場所を移したようです。
本願寺と信長との争いは有名ですが、豊臣秀吉の時代になり、1591年には本願寺が京都に帰ることを許されます。
そこで六条堀川に阿弥陀堂・御影堂を作り、これを「本願寺」としました。
その後、1602年に徳川家康から京都・烏丸通七条の寺地を寄進され、そこに阿弥陀堂・御影堂を建立し、もう一つの「本願寺」を完成させました。
これが現在の「東本願寺」となっています。
なお、六条堀川の「本願寺」は、現在は「西本願寺」となっています。
なるほど、これで東本願寺と西本願寺の二つがあることが分かりました。

ところが1960年代から、東本願寺の中でも分裂が起こりました。
(私が子供の頃、その騒動があったことを何となく覚えています)
現在は4つの派閥に分かれているそうです。


外に出ると、京都タワーが見えました。
数百年の歴史を飛び越えていますね。
面白い風景です。

(この項、続きます)

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