2019年6月2日日曜日

2019初夏 京都 8 インクライン

さて、蹴上駅近くの「ねじりまんぽ」▼を見た後は、少し歩きました。
そこには「蹴上」という場所の由来が書かれていました。

かつて、源義経が都から奥州へ向かう途中、蹴上近くの日ノ岡峠に立ち寄りました。
そこに、平家の武士9人が馬に乗って来て、水たまりを通り過ぎました。
跳ね上がった水で、義経の衣服は汚されてしまいました。
晴れの門出を台無しにされた義経は激怒して、平家の武士を斬り捨てました。
その後、軽率な行いを悔いた義経は、9体の石仏を作って弔いました。
それでこの事から、この地域は「蹴上(けあげ)」と呼ばれるようになったそうです。

名前の由来と共に、義経地蔵が設置されていました。


このあたりは「インクライン」と呼ばれているところです。


インクラインとは、広義には、「斜面・勾配」という意味だそうです。
こちらのインクラインは、傾斜したところにレールを敷いて、台車に船や貨物を乗せて運ぶようになっています。
「線路は続くよ、いつまでも・・・・」という歌声が聞こえてきそうなところでした。


蹴上のインクラインは長さが582メートルあり、世界最長だそうです。
また高低差は36メートルだそうです。
この辺りは、桜の木がたくさんあり、お花見の時に多くの人で賑わうことでしょう。


さて、どうしてここにインクラインが作られたかというと、琵琶湖の水を京都市内に運ぶため疎水工事をしましたが、このあたりは勾配があるので、船では通過できません。
それで地面にレールを敷いて、その上を通る、というようにしたわけです。


当時の京都は、明治維新によって都が東京に移ってしまい、天皇もいなくなりました。
京都の活気が失われてしまったそうです。
それで京都の復興を目指して、一大事業をすることになったのでした。
明治18年(1885年)に建設を始め、明治23年(1890年)に第一疎水が完成しました。
そしてその水が、動力、舟運、灌漑、防水などに活用されるようになりました。


このあたりが「船溜」です。


レールの上に台車を置き、そこに舟を乗せます。
舟には米や食料、雑貨などを積んでいたのかもしれませんね。


これが走っていた風景を、当時の人はどんなふうに見ていたのでしょうね。


インクラインのことを、もう少し詳しく知りたくて、「琵琶湖疎水記念館」というところへ行くことにしました。

(この項、しばらく続きます)


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