2022年1月8日土曜日

神田川 11 〜江戸川橋から飯田橋まで〜

今回の神田川歩きの出発地点は、メトロ有楽町線の江戸川橋駅です。

この駅は東西に長い駅なので、出口を間違えると大変です。

江戸川橋周辺は、車の通りが多いので、橋の写真をゆっくりと撮る暇はありませんでした。

今回のルートは、ひたすら首都圏高速道路の下を歩くのでした。


江戸川橋の次は、華水橋。私は「かすいばし」だと思い込んでいましたが、「はなみずばし」と呼ぶのだそうです。


お次の橋の名前、読めますか?
「かもんはし」ですね。歴史好きの人ならすぐに読めると思いますが。


「石切橋」という橋もありました。
このあたり、江戸時代には石工さんが多く住んでいたそうです。
また明治時代の記録のよれば、石切駅は、長さが15メートル、幅が5メートルもある大きな橋だったそうです。

また今ではこの川は神田川と呼ばれていますが、昭和40年ころまではここは「江戸川」と呼ばれていたそうです。

このあたりは新宿区と文京区の境になりますが、新宿区は昔のことをきちんと説明している看板をたくさん出しています。

こちらは明治20年頃の西江戸川橋付近の様子が書かれていました。こういう記録をきちんと残しておくことは必要ですね。

しばらく歩いていくと、とてつもなく大きなブルーの円形のビルが見えてきました。とても目立ちました。近づいてみるとトッパン印刷のビルでした。

今の場所は、下の案内板の「現在地」になります。赤い文字のところです。

その次は「新白鳥橋」と「白鳥橋」があったのですが、白鳥橋を渡って真っ直ぐ行くと川から離れてしまうので、慌てて戻りました。

次の写真は、橋ではないのですが、「大曲」というところのバス停です。先程の白鳥橋からほぼ直角に南に曲がっていて、ほんとうに大曲でした。川がこんなに急に流れを変えるということはあるのでしょうか。不思議な場所でした。

川はずっと高速道路の下を流れています。というか、川の上に高速道路を作ったのですね。工事は大変だっただろうと思います。

「新隆慶橋」というところまで来ました。もうかなり都会です。

ここは橋の両側に西詰と東詰という表示がありました。これはどういう意味なのかな。こちらの写真は「西詰」の信号です。

この高速道路の下を、ずっと歩いてきたのです。

高速の下に、どういうわけか、自転車付きの屋台が置いてありました。夜になるとラーメン屋さんにでもなるのでしょうか。

目の前にある歩道橋を渡りました。「飯田橋歩道橋」です。

歩道橋の上からの景色。年末なので、交通量も少なかったです。


総武線が走っているのが見えました。

道路の際に、古い石の橋がありましたが、「飯田橋」と書かれているのが分かるでしょうか。

この橋の名前が、電車の駅名になったわけですね。

神田川はここで外堀と合流していました。

ようやく、この日の目的地まで到着しました。

この日はたいした距離は歩きませんでしたが、他の人達は車に乗ったりバスで移動したりしているのに、ひとりで高速道路の下を歩いていて、なんておかしな人だろうと思われたかもしれません。

でも橋の名前を一つずつ確かめながら歩くのは、私には楽しいできごとです。

駅ビルでちょっと休憩。ステンドグラスがきれいでした。

ちなみにこのビルの傍にあった橋は「みやこはし」でした。神田川ではなくて外堀にかかっていました。

あっと驚いたのが、JR飯田橋駅がきれいになったこと。ずっと長いこと工事をしていましたが、とてもおしゃれな駅ビルに変身していました。

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「一日一句」

飯田橋 ここで丑年 橋納め


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