年を越してしまいましたが、「師走のわくわく体験記」もようやく本題の二ヶ領用水に到達しました。
この用水は多摩川地区にある最古の農業用水だと言われています。
この用水は、現在の川崎市多摩区から川崎区までの農地を潤していたのでした。
水鳥や鯉が気持ちよさそうに泳いでいました。
ちなみに、世田谷区の野川沿いに次大夫堀公園という子供向けの自然公園があるのですが、ここもやはりこの小泉次太夫さんが関係しています。
そちらのサイトによると、世田谷の用水は「六郷用水」と言われて、世田谷領(世田谷区、狛江市)と六郷領(大田区)を流れる23.2キロの用水であるとのことです。江戸時代に開発されて、その後、昭和に至るまで使われていましたが、昭和55年に公園となりました。
いずれにせよ、次太夫さんという方はすごいお奉行様だったのですね。
こちらは川崎市教育委員会の掲示板です。
話は川崎の二ヶ領用水に戻りますが、次太夫が用水を完成させた約100年後に、川除(かわよけ)御普請御用の田中休愚(きゅうぐ)という人が、大規模改修工事を行ったそうです。その結果、江戸時代中期から後期にかけては新田灌漑が広がりました。
この二人(次太夫と休愚)を顕彰する「泉田二君功徳碑」というのがあるそうですが、気づきませんでした。
その後歴史は流れ、二ヶ領用水は農業用水、そして工業用水として役割を果たし、現在は市民のいこいの場となっています。
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私は二ヶ領用水にそのような歴史があるとは知らず、単純に次太夫さんのお顔がある台和橋を目指して歩いていました。(実は2021年に三沢川あたりを歩いた時のブログに次太夫さんのことを書いていましたが、すっかり忘れていました!)
台和橋までの道のりです。
このあたりはいくつか橋がかかっていましたが、名前が付いていませんでした。なんだか勿体ないですね。
中野島中学付近の名無し橋です。たしか3つ架かっていたと思います。
紺屋橋。
少し歩くと、藤棚のある公園がありました。
この大きな木はスズカケだそうです。
ようやく台和橋に到着しました。
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