我が家から行田市へ行くには、まず新宿まで出て、そこからJRで熊谷まで行き、そして今度は秩父鉄道というローカル線に乗り換えて行くというルートを辿ります。
ここでややこしいのは、行田駅というJRの駅と、行田市駅という秩父鉄道の駅があり、それはまるで離れたところにあるという点です。これを間違うと大変なのです。
ところで秩父鉄道では、PASMOやスイカなどの電子カードは使うことができません。
そのため、熊谷駅の切符売り場にはたくさんの人が並んでいて、みんな紙製の小さな切符を購入しなければなりませんでした。
いつまでこの制度は続くのでしょうね。
まぁ、昔懐かしくて良いのかもしれませんが、SL電車目当ての観光客が多くて、駅は大混雑でした。
さて、行田市駅に降り立ちました。
駅にはこんな看板がありました。
行田はB級グルメと、お城を売りにしているところなのですね。
そして「日本遺産」の幟も立っていました。
ちなみに日本遺産▼というのは文化庁が認定するもので、平成27年から始まりました。
現在、54件が遺産として認定されています。
行田市は、足袋の町、として平成29年4月28日に認定されたので、まだほやほやの遺産のようです。
さて、駅前に降り立った後は、まずは「のぼうの城」のモデルとなった「忍城(おしじょう)」へと歩きだしました。
マンホールにもお城の絵が描かれていました。
途中の歩道橋には、こんな文字が書かれていました。
なるほど、行田というのは歴史のある町のようでした。
この日はカンカン照りでしたが、ゆっくりと歩いて15分くらいしたところで、お城の屋根が見えてきたので、ほっとしました。
「浮き城の径」というところを歩いて行きました。
森のようになっている公園で、気持ちの良いところでした。
こちらがお城の入り口です。
なかなかよい環境のところでした。
お城の案内図です。
城址に建て直したので、とてもきれいなお城でした。
忍城は15世紀後半に建てられたそうですが、難攻不落の名城だったそうです。
その後、天正15年に、豊臣秀吉の関東平定のため、石田三成による水攻めが行われましたが、このお城はそれに耐えて、水に浮くように見えたので「浮き城」と呼ばれたそうです。
こちらの見学のしおりによると、行田市は古代には多くの古墳が作られたそうです。
その後、熊谷を中心として成田氏一族が台頭して、忍城を作りました。
そして先ほども書いたように、石田三成による攻撃を受けて、忍城は開城して、徳川家康の持ち城となりました。
その後、江戸時代を経て、明治6年になると、城は競売に出されて土台だけになってしまいました。
この郷土博物館には、実にいろいろな資料がきちんと保存されていました。
足袋作りの道具の展示は見事でした。
こちらは郷土博物館の入り口で、ガラス越に写した写真です。
暑いので、日傘を手放せませんでした。
(この項、続きます)
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