先日、名古屋市の覚王山にある大正・昭和時代の豪華建築の揚輝荘(ようきそう)に行ってきました。
去年の秋ごろ、この揚輝荘において着物の展覧会があり、その時に行く予定にしていましたが、コロナ禍がひどくなったので、キャンセルしてしまったところです。
この揚輝荘は松坂屋初代社長の15代目伊藤次郎左衛門祐民(すけたみ)という方が、大正から昭和の初期にかけて、迎賓館、社交場、留学生会館などのために建てた別荘です。当時は敷地が一万坪もあり、建物が30以上もあるという壮大なお屋敷でした。
その後、戦争や老朽化のため、敷地や建物は縮小しました。そして2007年に名古屋市に寄贈されました。
名古屋は私の叔母が住んでいたり、仕事の関係で何回か訪問したことがあるのですが、名古屋駅は今までで一番混雑していたと思いました。
新幹線を降りてから、高島屋デパートを通り、地下鉄の名古屋駅に行くまでの混雑ぶりは、ほんとうにすごかったですね。渋谷や新宿どころではありませんでした。
「山」と名の付く場所だけあって、起伏に富んだ町並みです。ここには10年ほど前に、着物のイベントで訪れたことがありますが、可愛いお店が並んでいるイメージの町です。
駅から日泰寺参道をのぼり、日泰寺という大きなお寺を目指しました。ここにはお釈迦様の遺骨があるそうで、格式の高いお寺でした。
こちらの塔に、お釈迦様のお骨が安置されているのだとか。
そのお寺の横の道を入ると、揚輝荘の北園に到着しました。ここは北園と南園に分かれていて、その中間には高級なマンションが入り組んでいました。
北園に到着しましたが、ガイドツアーは南園ということで、マンションの間を通って南下しました。
南園に入りました。こちらは有料です。
聴松閣です。山荘風のこちらの建物は、昭和12年に作られました。
まずはこの敷地全体の模型を拝見。とても繊細に作られていました。よく見ると、小さな人形もいるのでした。
ここでガイドさんから面白い話を聞きました。
それはこの伊藤家の初代の方は、かつては織田信長に仕えた武士だったそうです。その後、商人となりました。また同じ頃宮大工だった竹中某という人がいて、この両家は仲がよく、伊藤家は松坂屋、竹中家は竹中工務店となってからも友情が続き、この揚輝荘も竹中工務店によって建てられたそうです。
また15代伊藤次郎左衛門は、渋沢栄一とも交流があり、ともにアメリカに渡ったことがあったそうです。
一階。
食堂です。床や天井、窓などあらゆるところに趣向が凝らされていました。
暖炉のレリーフ。
二階。
寝室、書斎、応接間などあちこち説明していただきました。それぞれの部屋が中国風、インド風などと異なっていました。美しい網代天井もありました。
その後、また北園へ戻りました。ここは無料で見学できるところです。
一番見たかったのは、7月17日のブログで紹介した白雲橋です。屋根のある橋ですが、京都の修学院離宮を模したものだそうです。
もう少しゆっくりと見学していたかったのですが、さすがに暑さには勝てなくて、覚王山の駅まで戻ることにしました。
本当は名古屋市内の別のところにも行く予定にしていたのですが、そこはかなり駅から歩くところにあるので、無理はしないで戻ることにしました。
途中、何軒か良さげなカフェがあったのですが、どこも満員。
しかたなくこちらのマンゴー屋さんで涼を取ることにしました。
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