2023年秋の京都旅行の2日目は、高瀬川を歩いてみることにしました。
高瀬川は江戸時代初期に角倉了以によって作られた運河です。京都と伏見の物流のために作られました。全長は9.7キロほどあるそうです。
大正9年(1920年)までのおよそ300年間、実際に使われていたそうです。
この水路は水深が数10センチと浅いので、高瀬舟という特別な船が運行していました。
二条あたりで鴨川から分かれ、その後、伏見稲荷あたりを流れて、最後は宇治川まで流れている川です。
さて私はどの区間を歩こうかと考えましたが、高瀬川に行く直前には渉成園に行っていたので、そこから東方面に進み、突き当たったのがこちらです。
下京区西木屋町通上ノ口下る梅湊町というところでした。
高瀬川に架かっていたのは「上の口橋」でした。かなり年代ものですね。
ここから北に向かうか、南に向かうかちょっと考えましたが、エイヤッと北に向かうことにしました。
周囲はこんな様子でした。地元の人しか歩いていませんでした。
その次はお太鼓橋の形をしている「六軒橋」でした。
川の右岸、左岸のどちらを歩こうかと思いましたが、工事のじゃまにならないように左岸を進みました。
あとになって考えると、このあたりの右岸には五条楽園という昔の遊郭施設があったようで、ちょっと残念なことをしました。
高瀬川は、白川に比べると、だいぶ昔風でさびれていて、あまり整備されていないような地域でした。それでも知る人ぞ知るという名店があったのかもしれません。
次は榎木橋。
ここにはなんと源氏物語と関連の深いものがありました。光源氏のモデルとも言われる源融(みなもととおる)という人のお屋敷があったところだそうです。五条から六条までの広大な敷地だったそうです。愛する女性を一堂に集めて住まわせた、いわゆる六条院ですね。
立て札。
そばには古そうな大木がありました。
そしてその脇を抜けていくと、鴨川が目の前にドーンと広がっていてびっくり。
こちらは高瀬川と鴨川の交差する地点です。こういう場所は、ずっと眺めていたいですね。
そしてその後は五条大橋まで歩きました。急に都会に出てきた感じでした。
弁慶と牛若丸の人形。
今回歩いた高瀬川は昔ながらの雰囲気が残っているところで、京都のイメージがちょっと変わりました。でもこちらのほが本来の京都かもしれないと思いました。
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この日の装い。
前日の和小物市で購入したベレー帽。
帯は、前日の裏面のチエック柄です。
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「一日一句」
ただ歩く 秋のレトロな 高瀬川
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