2024年2月27日火曜日

旧野川を歩く@狛江市

これまで野川は何回か歩いてきました。

2021年5月には、京王線の柴崎駅から小田急線の喜多見駅まで、野川沿いを歩きました。

そのときのブログ▼

そのとき歩いた道はこちら。


また小田急線の狛江駅前から六郷用水をたどり、滝下緑道を通って野川まで歩き、バスで戻ってきたこともありました。


そのとき歩いた道はこちら。


野川の上流方面は、調布市の野川公園を通過して、小金井市の丸山橋までサイクリングをしたこともありました。

そのときのブログ▼

サイクリングで通った道はこちら。


下流方面では、仙川と合流する「鎌田橋」を通過したこともありました。


そのときのブログ▼

歩いた道はこちら。


こんなふうに、私にとって野川は川幅の広い、一級河川であり、立派な川だという印象が強くありました。

ところがその野川はかつては水質も悪く、また台風のたびに氾濫をおこす大変な暴れ川だったということを知りました。

そして昭和40年代、野川は環境問題や自然災害対策のため、川の改修と、近くを流れる六郷用水の暗渠化が行われたのでした。

そのころの私は中学生で、杉並区に住んでいたので、野川についてはまるで知識がありませんでした。それでも小学生の頃、伊勢湾台風を経験して、近くに流れる善福寺川が大変な状態になったのはよく覚えています。

そんな時代を経て、旧野川は以前よりも東側に移動して、現在の野川となったわけです。


今回は、以前、狛江市役所でいただいた「水の記憶を訪ねて」という資料を頼りに、昔の野川を歩いてみることにしました。

資料にはさまざまなコースが載っていましたが、まずは「水の記憶コース」を辿りました。

このコースは狛江駅を出発して、旧野川と六郷用水の合流地点を通り、北へ進み、昔の野川に架かっていた橋の跡を通り、現在の野川大橋を通り、帰りは覚東というバス停から狛江駅まで戻るというコースです。

青いラインが行きの歩いたコース、オレンジ色のラインは帰りのバスのコースです。


歩いたコースは、現在はすべて緑道になっていて、歩きやすく、また○○メートルという表示もあり、道を間違えることはありませんでした。

それでは出発です。

1.スタートは狛江市役所
  
市役所の脇にある道を辿ります。


以前、市役所と小田急線狛江駅前の中間あたりには、駄倉(だくら)橋の跡を発見しましたが、この場所はその続きになりますね。



2.旧野川と六郷用水の合流地点
  
こちらの地点が、昔の野川と、六郷用水のあったところが合流する場所です。
マンホールが目印です。


このあたりには古墳があるということでしたが、どうしても見つかりませんでした。

リサイクルセンターや保育園などが並ぶ道を北へ歩いて行きます。


このあたりは岩戸北1丁目あたりです。

(写真に写っている人は、
通りがかりの方です)

少し歩くと、「野川緑地公園」の入り口になりました。


緑道には子供向けの遊具もありましたが、子供の姿は見かけませんでした。


緑道のすぐ脇には、民家の庭がありました。


紅梅がかわいらしかったですね。


緑道はまっすぐな道もあれば、ところどころに急カーブの道や、ちょっとした広場もありました。昔の野川の流れが分かります。


緑道の途中には、普通の公道が横切っていました。


カラフルなお花が植えられていました。


こんなふうに標識があるので、歩いていても迷子にはなりません。


3.北久保公園


4.御台橋(ごだいばし)

北久保公園を過ぎると、前方にバスが通る道が見えてきました。
向こう側に、その道が横切って走っています。


実はここは大変に貴重な場所でした。
ここは、かつての旧野川に御台橋(ごだいばし)という橋が架かっていたところなのです。


こちらがその当時の親柱です。まだ残されていました。
写真ではよく分かりませんが、「御台橋」という漢字表記と、「ごだいばし」というひらがな表記の両方がありました。


現在は御台橋を渡ることはなくなりましたが、商店街の名前や、バス停には「御台橋」という名前が未だに残っているのでした。きっとみんなから親しまれた橋だったのでしょうね。


信号も、御台橋。


電気屋さんも「ごだいばしでんき」でした。


こちらはバス通りを渡ったところの緑道です。かっこいいモニュメントがありました。


5.狛江市野川地域センター

こちらでちょっと休憩をしました。
ここはWi-Fiも使えるし、自動販売機もあるし、ソファもあるし、ゆっくりとくつろげる場所でした。


6.小足立八幡神社

江戸時代に建てられた神社です。元禄時代の検地帳には八幡宮地と書かれているそうです。以前はかなり広い敷地だったかもしれませんが、現在は周囲を民家に囲まれて、ちょっと窮屈そうに見えました。




7.西野川せせらぎの道

神社の脇の道を北へ進むと、「せせらぎの道」になりました。昔の川の面影をうまく表している水路でした。ポンプ工事のため、水は流れていませんでしたが、2024年4月頃にはまた水の流れが復活するようです。


木蔭もあるので、夏などもお散歩には気持ちよさそうなところでした。


8.石橋供養塔

せせらぎの道の突き当たりの、小金橋南の交差点には、「石橋供養塔」がありました。
交通安全の旗が立っていました。


なんと文化十年。1813年、徳川家斉の時代に作られたものですね。


昔、野川の橋を作ったときの、供養塔ですね。


9.大橋


大橋改修祈念碑でした。


こちらには昭和36年と書かれていました。


漢字で「大橋」


この先もまた緑地公園です。まっすぐ歩いて行くと、現在の野川に突き当たりますが、今回はパスしました。


公園には入らず、子之三嶋神社を通過。
ここは明治時代のはじめに、覚東村の一同が相談して、それまで東野川の先手院という寺院にあった神社を遷座したそうです。


「大橋通り」をしばらく歩きました。

8.覚東

覚東というバス停に行くと、ちょうど狛江行きのバスが来たので、飛び乗りました。

9.狛江 森の泉

この日のランチは狛江駅前近くの「森の泉会館」でオニオンスープと、ピザトースト。これで700円は高いのでは?


こちらは狛江駅前の弁財天池。


また狛江駅に戻りました。絵手紙発祥の町、狛江です。


この日の収穫はなんと言っても、御台橋でした。
昔は「五大」とか「五代」とか書かれていたこともあったとか。

古いものをきちんと保存している狛江市、ちょっと見直しました。

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「一日一句」

ただ歩く 新旧の川 春の道



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