京都旅行記が中断していましたが、また再開します。
京都へ出かけた理由はいろいろありますが、ある着物本の著者にお目にかかりたいという目的もありました。
その本はこちら。
「きもの3枚から始める! 着こなし便利帖」です。
著者のもりたもとこさんはこの本の中で、
「まず第一に買うのは木綿の着物。次が紬。三番目は小紋を」
というポリシーを書いていらっしゃいました。
私も同じ考えだったので、お会いしたいと思っていたのです
もりたさんは、京都市内に「OMO」▼というお店を開いているというので、京都に辿り着いてすぐ、地下鉄で出かけてみました。
烏丸御池の近くにありました。
すっきりとした店内には、二部式の作り帯やバッグや小物がディスプレイされていました。
ところが もりたさんは残念ながら体調不良ということで、ご不在でした。
お店の番をしていた方とお話をしてきました。
厳選された反物もいくつか見せていただきました。
私が気に入ったのは、玉ねぎ、栗、山漆というの自然の植物で染色された紬です。
とても素敵でしたが、旅の途中に簡単に買えるお値段ではなかったので、少し考えることにしました。
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その後は、堀川通りの方まで歩いて、西本願寺正面にある「龍谷ミュージアム」▼へ。
新聞で、「九條武子展」▼があるという情報を得ていたので、それを鑑賞するのが目的でした。
今年は没後90年に当たるので、九條武子を偲んで、追慕の展示が開かれたそうです。
このミュージアムはとてもすっきりとした建物でした。
九條武子さんは、西本願寺の第12代宗主の娘さんでしたが、九條さんという男爵家にお嫁入りをした方です。
子どものころから絵を描くのが好きで、上村松園さんのお弟子さんになった方です。
それでその絵を見たくて行ってみたのです。
松園さんと一緒に並んで絵を見ている写真も残っていました。
こちらはパンフレットからいただいた武子さんの作品ですが、とても優しい絵を描いていらっしゃいました。
また真宗の婦人会でも活躍され、その後、京都女子高等専門学校(現在の京都女子大学)の設立にも尽力されました。
そして全然知らなかったのですが、関東大震災直後に、慈善活動で活躍されたそうです。
震災当時は、ちょうど築地本願寺にいらっしゃったため、ご自身も被災されましたが、託児所で子供たちの世話や救援をしたそうです。
残念ながら42歳という若さでお亡くなりになりました。
彼女の人生を追った映像が放映されていました。
その中で驚いたことは、関東大震災後の大正13年頃には、ほとんどの女性が和裁をいとも簡単にしてのけていたことでした。
女性たちが大広間に1メートル間隔くらいに並んで座り、全員が子供の浴衣を縫う作業をしていました。
みんな運針をスイスイとしていました。
今の若い人ならだれでもパソコンができるのと同じくらい、当時の若い人は和裁ができたのでしょう。
この場面がとても印象的でした。
また龍谷大学は古い襖絵などの復元活動も積極的にされていて、江戸時代などの鮮やかな絵画も見ることができました。
仏教系の大学の博物館というと、ちょっとご縁がないような気がしていましたが、建物も見やすい構造になっていて、受付もとても感じが良く、新しい発見をしました。
こちらの入場券の半券を持っていると、西本願寺のカフェでデザートがいただける▼というのも、嬉しい特典でした。
(この項、続きます)
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