2020年11月19日木曜日

分倍河原歴史散歩 高安寺 その1

先日、府中市の大國魂神社辺りを散策▼しましたが、その時にいただいたチラシを見ていたら、府中駅のお隣にある分倍河原駅近くに、足利尊氏が建てた高安寺というのがあるというのを見つけました。

私は日本史は好きですが、実は足利尊氏の時代や、南北朝のころのことはよく分からないのです。それで気になって、ちょっと出かけてみました。

分倍河原(ぶばいがわら)駅は、JR南武線と京王線が交差しています。


お寺はここから徒歩7分ということでしたが、出口から行く方向を間違えてしまい、とんでもない静かなところに来てしまいました。いくらなんでもおかしいと気づき、また駅の方へ。

すると今度はサラリーマン相手のような酒場が続く道がありました。

その突き当りの旧甲州街道にあったのが、「府中市文化センター」という建物でした。ここを右折して、旧甲州街道に沿って少し歩きました。


高安寺が見つかりました。曹洞宗のお寺でした。

ちなみに曹洞宗(そうとうしゅう)とは、中国の禅宗五家(曹洞、臨済、潙仰、雲門、法眼)の1つだそうです。

座禅の教えを重んじるのが曹洞宗の大きな特徴です。

お相撲の高安を想像して、つい「たかやす寺」と呼びそうになりますが、正式には「こうあんじ」です。


曹洞宗は、鎌倉時代の初期に、京都に生まれた道元(1200年~1253年)が、南宋に渡り、その後、日本で寺を開きました。

「只管打坐(しかんたざ)」といって、ただひたすらに座るという教えのようです。

ちなみに、福井の永平寺は、この道元禅師が建立した寺です。

高安寺の境内には道元の銅像がありました。

高安寺は、室町幕府の初代将軍足利尊氏(1305年~1358年)が、元々この地にあったお寺を再興し、龍門山高安護国禅寺と号したのが始まりだそうです。

こちらが本堂です。なかなか立派でした。


「時の鐘」もありました。これは江戸時代のものでしょうね。


境内には立派なお墓がたくさん並んでいました。そしてイチョウがきれいに色づいていました。


実は、この寺は弁慶とゆかりが深いのです。それは次回、お知らせしますね。

(この項、続きます)

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「一日一句」

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