2020年8月11日火曜日

牧野記念庭園 その2

「牧野記念庭園 その1」▼の続きです。 

さて、こちらの庭園では「リニューアル10周年記念特別展」を開催しています。

「江戸の博物絵師 関根雲停 牧野富太郎が愛した植物画」です。

そしてこの記念館の学芸員によるレクチャーがあるというので、参加してみました。

雲停(雲梯とも書くそうです)という人は、1804年に江戸で生まれ、1877年(明治10年)にお亡くなりになった絵師さんです。

当時は日本でも中国から伝わった本草学が発展して、自然に対する関心が高まってきた時代です。それで雲停さんも植物画や動物画を多く描き、それが大名の間で人気を得たそうです。

特に富山藩の前田利保という藩主に可愛がられ、雲停は多くの植物図鑑の図を描いたそうです。

<参考>

----ウィキペディアより抜粋----

前田利保は当時、博物大名として知られた。相次ぐ凶作などで藩財政が困窮していたため、産物方を設置して陶器製造業、薬草栽培などの産業を奨励して財務再建を図った。特に薬草栽培には力を入れた。岩崎灌園や宇田川榕庵を師として自ら本草学を学び、本草学に傾倒する余り「草癖」を揶揄された。「本草通串」「本草徴解」「本草通串澄図」「万香園裡花壇綱目」など、薬草に関連した多くの著作を残している。領内の下ノ茗温泉を拠点として、自身が実地で採取調査した、と記録されている。さらに利保は博物学研究会として「赭鞭会」を開催し、こうした博物学の成果や他学者との交流を行っていたという。また、嘉永6年(1853年)3月、領内最高峰の金剛堂山を登山。家臣を伴っていたが、自らが先頭に立って登山したと伝わる。また、先の著作の挿絵作業を通して富山藩の「売薬版画」、いわゆる「富山絵」が発展したとされている。

---------

富山の薬が発達したのは、このような画家がいたことと関連があったというのは、面白いですね。

そして牧野富太郎博士も、雲停の植物画に魅せられ、イギリスのボタニカルアートにも匹敵するものと評して、雲停の絵画を収集したそうです。そして、大前静という聾唖の画家に模写をさせました。

今回の展示にはその模写がたくさん展示されていました。模写というのは、原画の下から光を当てて、それをなぞるのだそうです。どれも緻密な図で、細い線で描かれ、美しい色で彩色されていました。

ペチュニア、ヤマユリ、シュウカイドウなど、私が知っている花もありました。

また東京国立博物館所蔵の雲停の貴重な肉筆もありました。

江戸時代末期から明治時代にかけて、こんなに美しい植物画が描かれ、そしてそれがきちんと保存されていたのには感激しました。

ということで学芸員のギャラリートークはとても参考になりました。いつの時代でも、優れた技術を持つ人、そしてそれをサポートする人、後世に伝える人がいるのだなと、思いました。

こちらは庭にあった練馬区の看板。昭和33年のものです。

外はとても暑かったので、帰り道は近くのバス停からバスに乗り、シルバーパスで吉祥寺へ出ました。

このところお出かけは自粛していたので、シルバーパスを使ったのも久しぶりでした。

*******

この日の装い。

汗だくになりそうだったので、すぐに洗えるポリの絽着物にしました。


帯はアイボリーの博多帯。折ジワがついてしまって、なかなか消えてくれません。

******

「一日一句」

植物画そっと控える絽の着物


0 件のコメント: