2022年3月8日火曜日

江戸東京博物館 「徳川一門」

両国にある江戸東京博物館は、2022年4月から全館大規模改修工事のため、長期休館になります。

開館は1993年だそうで、かなり長い月日が経ったのですね。

改修前に一度行っておこうと思い、隅田川を歩いた後に行ってみました。


チケット売り場には「本日は多数の団体見学が予定されています」という貼り紙があり、ちょっと嫌な予感がしました。3月の卒業前シーズンなので、中学生や小学6年生らしき子どもたちがいっぱい来ていました。それほど騒がしくはありませんでしたが、黒い制服がたくさん目の前にいたので、けっこう圧倒されました。

シニアなので、入場料は半額の300円でした。


さて「徳川一門」ですが、長い戦国時代を終わらせて、江戸時代という太平の時代を築いた徳川家の血縁の強さが紹介されていました。

「徳川一門」は15代続いた将軍家を支えた人たちの紹介、というスタンスの展示でした。

初代はもちろん家康さん。その後、260年も徳川家が継続するとは御本人も思っていなかったかもしれませんね。

鎌倉幕府は3代で終わったのに、江戸幕府はどうして15代も続いたかというと、そこが家康さんの偉いところでした。

彼には全部で16人の子供がいたのですが(養子も含むと30人以上)、そのうちの9男義直、10男頼宣、11男頼房を御三家としました。尾張、紀伊、水戸ですね。

御三家は重要な政策に参加したり、跡取りがいない場合には将軍後継者を出すこともできたのです。

そのおかげで、7代将軍に跡取りがいなくても、紀伊家から8代将軍吉宗を出すことができたのです。

そしてその吉宗もこの御三家を真似て、御三卿という制度を作りました。それぞれ田安、一橋、清水です。彼らもまた、将軍家を支えることになりました。

また11代将軍の家斉には、なんと53人もの子供がいました。全部が成人したわけではありませんが、その子どもたちを御三家、御三卿、外様大名などと結婚させて結束を強めたのです。

下の図は家斉の子供たちですが、53人もいたら、誰が誰だかわからなくなってしまうでしょうね。

そして徳川家は天皇家ともつながりをもちました。皇女和宮との公武合体も忘れることができませんね。

このような徳川家ゆかりの人々が紹介されていました。

このように閨閥で強い関係を築く方法は、古くから行われていたと思います。また徳川家だけでなく、地方の大名なども同じように行っていました。一度築いた勢力を保持するのには良い方法だったと思いますが、新しい勢力が入る隙間はできにくかっただろうと思います。

今回の展覧会は特別展ではなく、常設展の中での開催でしたので、それほど大規模ではありませんでした。

展示品は、写真撮影が禁止されていたものがほとんどでしたが、こちらはOKでした。最後の将軍、慶喜の衣装です。豪華な刺繍ですね。大河ドラマ「青天を衝け」の草なぎ剛を思い出してしまいました。

この展覧会は、最初は3月6日までということで慌てて出かけたのですが、どういうわけか3月末日まで延長されていました。

展覧会を見た後、ランチができるところを探しましたが、遠くまで出かけるのも面倒なので、館内にある「江戸博砂漠」という中近東料理の店に入りました。

セルフサービスの店で、値段は安かったのですが、なんとなく学校給食のような感じでした。

私が頼んだのは、モロッコのクスクス。

小さな米粒のようなものでしたが、これは「世界一小さなパスタ」なんだそうです。

こちらのイベントが面白そうでしたが、当日参加は不可、ということでちょっと残念でした。


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この日の装い。

徳川家の皆様にお会いするので、葵の模様に見えるお召(?)にしました。藍色の地に、ピンクの葵が織られていて、ラメのようなものもキラキラしている不思議な着物です。


帯はちょっと凝った織模様の帯でした。金のラメが入っています。

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「一日一句」

徳川の 一門集い 水温む


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