梅雨の季節になりましたが、その合間を縫って、また玉川上水を歩いてきました。
今回は暗渠マニアのCさんと、大宮から参加したUさんも加わり、3人で歩きました。
玉川上水に架かる「桜橋」から「鷹の橋」という短い区間でしたが、ちょうどよい距離だったかもしれません。
というのは最終地点の鷹の橋駅に到着した途端、半端ないくらいの豪雨が降ってきたのです。もしもう少し先まで行く予定にしていたら、大変なことになったと、今更ながら安堵しています。
下の写真は、空がにわかに真っ暗になり、雨が降り出した鷹の台駅前です。
さて、今まで歩いてきた玉川上水の区間は、新宿区、渋谷区、世田谷区、杉並区、武蔵野市、三鷹市、武蔵小金井市など、割と馴染みのある地域でした。だいたい、どこに何があるかとか、位置関係が分かっているところでした。
これから先は、あまりご縁の少ない区域になるので、私自身のためにも、もういちど地理を確認してみたいと思います。
小平市は人口が約20万人ほどだそうで、私が住んでいる区域とほぼ同じ規模の市です。
一橋大学や津田塾大学、武蔵野美術大学がある文教地区であり、また小平中央公園など緑に恵まれた地域です。
東は武蔵小金井市、南は国分寺市、西は立川市、北は小平市と隣接しています。
玉川上水は、その小平市の南の地域をほぼ東西に真っすぐに横切っています。
そしてその玉川上水に垂直に交わるものがあります。
下の地図の中で、水色の矢印が歩いたコースですが、そのうち東西に流れているのが玉川上水です。
その玉川上水に対して、垂直に横切るものがあります。その一つが西武多摩湖線です。上の地図で、東側のオレンジ色の線です。
これは国分寺駅を出発して1つ目の駅が小平市の一橋学園駅で、そこから少し戻った南側に、桜橋があります。
2つ目はJR武蔵野線です。上の地図で、緑色の線です。
この路線は、府中本町から出て、浦和方面をぐるりと回り、船橋などを通過して東京に行く、という大規模な路線ですが、この武蔵野線が小平市の津田塾大学のあたりで玉川上水の地下を通っているのです。
3つ目は線路ではありませんが、府中街道です。上の地図で濃いピンク色の線です。
これは稲城市から始まり、多摩川を渡り、東村山市までの南北15キロの道路です。この道路が久右衛門橋で玉川上水と交差します。
そして4つ目は、西武国分寺線です。上の地図で西側のオレンジ色の線です。
この路線は国分寺駅を出発して、恋ヶ窪駅というロマンチックな名前の駅を通り、その次の鷹の台駅近くの鷹の橋で玉川上水と交差します。
こんなふうに眺めていくと、玉川上水は江戸時代の初期に作られたのですが、その後、南北に電車が通ったのは面白いですね。
府中街道は江戸時代にできたそうですが、玉川上水とどちらが先かは、分かりません。ただし久右衛門橋は8代将軍吉宗の頃にこのあたりの新田開発が奨励された時期にできたそうなので、玉川上水のほうが先にあったのかもしれませんね。
また玉川上水と並行して東西に流れている用水がありました。
「新堀用水」というもので、これは玉川上水の少し北側を平行に流れています。明治3年(1870)に作られました。というのは、玉川上水は船を通すことになり、それとは別に新堀用水が作られたようです。
このようにして地図を眺めてみると、玉川上水を中心にして線路や道路、用水の流れもできた、というのがとても面白く思われました。
そんな発見も、自分たちの足で歩いてみて、分かったわけです。
前振りが長くなりましたが、そんなことをちょっと頭の片隅に置いて、上水歩きのレポをご覧ください。
おまけの写真は、歩いた後でいただいた、国分寺のコメダの巨大フィッシュバーガー。あまりに分厚くて口に入らず、ナイフでカットしてトライしました。
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「一日一句」
上水を 縦に横切る 線路かな
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